その後、軽食店で昼食を取った俺とセンスパは途中で別れた。
 俺は午後からの、あいつとの約束のために駅へと向かう。時間が押している。俺は足を速めることにする。
 時間に2分遅れで到着すると、駅前の待ち合わせスポットである銅像の前に、あいつはいた。あいつは、約束には5分遅れが標準だったため、俺は少し驚く。
 が、その驚きと疑問はすぐに解消された。
 そこにいた、あいつ以外の人物全員に、俺は見覚えがあった。
 あいつの横にいるのがあの娘。そして、少し離れた場所に立っているのが、あの人だ。
 中学時代のメンバーが揃うのはかなり久しぶりのことだった。恐らくあいつは、あの娘と一緒にここまで来たのだろう。しっかり者のあの娘なら、時間の10分前にあいつを引っ張ってくるのは必然的なことだ。
「よう」
とあいつは片手をあげた。俺も全員に向けて挨拶を返す。
「久しぶりに揃ったなぁ。うーん、あと一人でパーフェクトだったんだけど、しかたないな、こればかりは」
 あと一人、というのは現在日本国内にいない彼女のことだろう。
「じゃあ、適当にブラブラしようぜ、久しぶりに会おうと思ってお前らを呼んだわけだからな」
 あいつは俺とあの人の方を見ながらそう言った。
 だが、そんなはずはない、と俺は思う。あいつは目的もなく人を集めるような奴でないことは、俺がよく分かっている。
 だが、その時は深い散策はやめることにする。素直にあいつに従って、駅前を歩く。
 あいつとはよくメールを交換したり、休日に会ったりしていたが、あの娘と会うのは大分久しぶりだった。積もる話、というほどでもないが、話したいことは少なからずあった。
「俺達の学校はもうすぐ文化祭なんだ」
とあいつが言った。
「うちの高校は9月に入ってすぐに文化祭があるんだけどね。うちのクラスはお好み焼き屋をやることになって今、休みなのに準備しているとこ」
とあの娘が補足を入れる。
「中学の文化祭は面白かったなぁ・・・・・。特に三年生の時が。覚えてるか?まぁ、忘れたとは言わせねぇが」
 このあいつの言葉で、あいつが俺達を集めた理由を大体察することができた。あいつは、文化祭の話題から本題へと話を広げるつもりだ、と俺は思う。昔からあいつがよく使う手法であった。
「文化祭で飛び入りライブしたりしてさぁ。あの時は、ハピマテ祭りも真っ最中だったもんな」
 誰とも目を合わせず、空中を見つめているあいつ。
「懐かしいわね。思えば私がここにいるみんなと仲良くなったのも、ハピマテのおかげだったもんなぁ・・・・・」
 確かにそうだ。ハピマテ祭りがなければ、あの娘は一人の学級委員として存在するクラスの一員でしかなかったわけである。こうして、街中をぶらつくこともなかっただろう。
「聞いた話だけど、またネギまのアニメが始まるらしいな。主題歌も11月に出るんだとか・・・・・」
 いかにも他人から聞いたような口振りだが、これを教えたのは俺である。それもあいつの計画のうちなのだろうから、俺はあえてその突っ込みを口外に出さないことにする。
「また、オリコン1位祭りしたいと思うか?」
 これが、あいつが用意した本題なのだと、俺はすぐに分かった。
「もちろん」
 すかさず俺はそう返事をする。あの娘も
「あの時は楽しかったからね」
と頷いて肯定。
 しかし、それまであまり口を開かなかったあの人は、首を縦に振らない。
「僕は、今度は盛り上がらないと思う。だから、僕は何もしない」
 前に聞いた通り、且つ予想通りの返事だった。
 あいつもあの人がその返事をすることを予想していたのだろう。と、いうか、その返事をする、ということが、俺達を集めた大きな原因なはずだ。
「そっか・・・・・」
 あいつはそう呟くと、立ち止まってあの人の方を見た。
「お前が、もうこんな遊びまっぴらごめんだ、っていうんなら俺は何も言わない。中学のころ言われたみたいに、物を買うことを強制するんじゃやってることはカツアゲと同じだからな」
 でもな、とあいつは続ける。
「盛り上がらないって理由だけで、何もやりたくないんなら、俺はお前を見損なったぞ」
 表情の変化は見せないが、あの人はあいつにそう言われたことに、僅かに動揺したように見えた。きっと、自分が祭りに参加しない、という事について、こんな事を言われるとは予測していなかったのだと思う。
「盛り上がらないんだったら盛り上げる。中学時代も、そうやってハピマテ買ってきたんじゃないのかよ?俺達、一緒に楽しんできただろ?」
 あいつの迫力のある言葉に、俺は何を言って良いのか分からずただ黙っていることしかできなかった。
 あの人が、センスパ祭りには参加しない、と言った時、俺はあの人に加わってほしいと思いつつも何もすることができずただ妥協していた。
 しかし、あいつは違ったのだ。あいつはあの人をまた仲間にしたかった。仲間になって欲しいと思っていた。中学のころの思い出を、もう一度再現したかったのだ。
 俺は、あの人にここまで言うことができなかった。
「――と、ここまでが俺の言い分だ。もう一度言うが、お前に無理にCDを買わせる気はさらさらない」
 あいつの話を黙って聞いていたあの人は、少し考えていた様子だったがあいつが話を切り上げたことを確認してから、口を開いた。
「君達は本当に面白い」
 あの人は口元だけをあげる独特の笑みを浮かべ、
「やっぱり県外の高校なんかに行かなくて良かったと思うよ。県外の高校に行っていたら、こんな言葉を聞いて急にわくわくすることなんてなかっただろうね」
と立ち止まりざまに言うと、最後にこう付け加えた。
「考えが変わった。僕も祭りに参加するよ。約束する」
 硬かった空気が、一気に緩んだような気がした。
 真面目くさった顔をしていたあいつはにやっと笑うと、
「それでこそお前だよな」
と言ってから、今度は声を出して笑った。
 俺もなんだかほっとして、自然と笑みをこぼしてしまった。あの娘も同じだった。
 このメンバーで笑い合うのは大分久しぶりのような気がする――
 またあいつに助けられてしまった。そう思いつつ、俺は心のつかえが取れた気持ちの良さに安堵を覚えた。



 夏休みも終わり、新しく学校生活がスタートした。
 休み中に行きたくもない学校に通い全く休んでいない夏休みだった。高校一年目にしては酷い仕打ちだったと思う。
 夏休み中に俺の元へとやってきたセンスパとの暮らしにも大分慣れてきた。あいつのおかげで、あの人も祭りに参加してくれることになり、俺の胸のつかえも取れ、気分は悪くない。
 休日。
「今日は休みで暇だから、出かけようか」
と俺はセンスパに提案した。
 センスパは服を一着しか持ってきていない。
 そのため、大切にとっておいたハピマテが着ていた服をおさがりとして着ていたのである。眼鏡を取ってコンタクトにすれば、センスパは何となくハピマテに似ているような気がしたし(違うといえば髪型と、目が多少つり目なところくらいだ)、ハピマテの面影を重ねることができたのだが、このままだとセンスパが可哀想だ。
 そういうわけで、俺はセンスパを街に誘って新しい洋服を買ってあげる計画を立てたのである。
 その内容を伝えると、センスパは
「はい。私は良いお店を知らないので案内してくださいね」
とすんなり承諾した。
 しかしそう言われても、女の子の着るような服が売っている店なんて知らないし、有名なデパートに二人で行くのは気が引ける。
 困った俺は、クラスメイトの女子の中で唯一、メールアドレスを知っている"女史"にメールをしてみることにした。
 "女史"と呼ばれているその女子生徒はそのニックネームのままの人格を持った人物である。
 クラス委員長をしており、一年生の中では唯一生徒会執行部に入っている(担当は書記だったと思う)。
 俺がメールアドレスを知っているのは、以前に業務連絡用として教えて貰っただけである。しかし、それなりに親しいことは親しい。
『ちょっとした事情で女の子が着るような服を買うことになったんだけど、穴場的な店知ってる?』
 俺がメールを送信する際、センスパが
「ガールフレンドですか?」
と冗談めかして言ってきたが、恥ずかしいのでスルー。センスパも、こういうジョークを言えるようになったのは嬉しい。
 返信はすぐに返ってきた。
『個人的には、駅前のNっていう店がオススメ。と、いうか、なんで私にきいたの?』
 向こうの家で、女史が自分の眼鏡の位置を人差し指で直している光景が目に浮かぶようだ。
『ありがとう。クラスメイトの中でアドレス知ってるのが、女史だけだったからさ』
 ところで、さっきからセンスパが横からメールを覗いてくるのは何故だろう。嫌らしいメールではないので嫌な気はしないが・・・・・
『そうなの。クラスの女子のアドレスくらい知らなきやダメじゃない』
 なんとも毒舌なメールが返ってきてしまった。俺は苦笑混じりに『今から行ってみるよ』と最後の返信をした。
「さて、行こうか」
「はい」
 俺とセンスパは、身支度をして『N』という店に出かけた。


 買い物も終わり近道のため、俺とセンスパは路地裏の道を歩いていた。
 女史の言う通りの良い感じの店だった。古風な感じであったが、品揃えは良かった、のだと思う。
「良い買い物ができたね」
「そうですね、ありがとうございます。あの、今度、お金は返しますから・・・・・」
 センスパはそう言うが、俺は適当に頷いた。少しくらい奢っても良いだろう。
 俺は大きな欠伸をする。休みの日なのに早起きしたせいだろうか・・・・・
 ――と、どん、という音がして、俺の肩が通行人にぶつかった。
 路地裏だったため、道幅が狭くぶつかってしまったようだ。向かってくる人に気付かなかった俺は、素直に謝ろうとする。
「すいませ――」
 しかし、俺は顔をあげて声が引っ込んだ。
 「おい、お前、何処に目つけたんだ?おい?」
 目の前にいたのは、絵に描いたような不良少年5人組だった。


 年齢は同じくらいだろうか。年齢は同じであるが、風格が明かに違う。
 これは困った状況だ。周りに人はおらず、助けを求められる状況でもない。
「あの、すみません、よそ見してました」
 とりあえず、俺は平謝りすることにする。それで通じる相手かどうか分からないが、下手に刃向かうのは隣で怯えながらも平静を保とうとしているセンスパにとっても不都合であることは間違いないからだ。
「俺達が謝って通じる相手に見えるのか?お前」
 一人が笑いながら言った。
「こういうときは金で解決するのが道理ってもんだ」
 他のメンバーも言った。
 これはまずいな・・・・・。こんな状況に陥ったことはないのでわからないが、学校なんかに報告でもしたらますます問題になるのだろう。
「あいにく財布持ってなくて・・・・・」
「嘘ついてんじゃねーよこの野郎」
 茶を濁す作戦も失敗してしまった。これは残す道は一つだけだろう。
「センスパ!逃げろ!」
 俺は叫ぶと、センスパの手を取って走り出した。
 最初は俺に引っ張られたセンスパも、自分から走り出す。
「あ、まて!」
 不意を付かれた不良もワンテンポ遅れて走り出す。相手の足は遅い。これならいける。
 しかし、道は非常に狭い裏路地だということを忘れていた。
 下に落ちているビール瓶なんかが俺とセンスパも足を阻む。それは奴らも同じのはずなのに、向こうは慣れた足取りだ。ここ一帯を縄張りにしているせいだろうか。
「あっ、ふぅっ」
というセンスパも喘ぎ声に興味を持っている場合ではない。早く人通りの多い場所に出る必要がある。
 しかし、
「逃げてんじゃねーよ、お前ら・・・・・」
 ついに、捕まってしまった。
 こっちは女の子連れのわけだし、少しハンディはあったのかもしれない。こうなったら覚悟を決めるしかない。背に腹は代えられない。それに、センスパに怪我をさせるわけにはいかない。
「わかったよ・・・・・」
 俺は渋々財布をとりだした。金でなんとかなるなら、それでいい。
「あ・・・・・」
とセンスパが声をあげる。だが、仕方がないだろう。
 俺が1000円札を5枚取り出して、差し出す。向こうの不良がそれを受け取る――
 しかし、不良はそれをすることができなかった。
 そうするよりも前に、不良の後ろで鈍い音がして、俺から日本銀行券を受け取ろうとしていたその手が揺らいだ。
 どさっ、という音とともに、不良の一人が倒れる。
 俺は、その向こうにいる人物を見て驚いた。
 そこに立っていた二人の男。
 中学校のころに犬猿の仲だった相手、『花鳥風月』に所属していた二人だった。
 『花鳥風月』は、中学校時代にオレンジレンジコピーバンドをしていた。アニソンのコピーバンドを作っていた俺達にとって、敵であるライバルだった。
 その五人のメンバーの中の二人が、ここにいる。――何故?
「久しぶりだな、お前。中学以来か。なんか俺らの学校の奴らがやらかしてるみたいだな・・・・・」
 一人が、俺の方を見てそう言った。
「なんだお前ら!」
と、俺達を追いかけていた不良が、花鳥風月の連中に殴りかかった。
 が、連中はそれを一蹴する。
「馬鹿、早く逃げろ」
 連中にそう言われ、俺は一瞬ためらったがここはこいつらに任せるべきだ、と声をあげた本能に身を任せ、俺は
「すまん!」
と言ってセンスパの手をつかむと、そのまま走り出した。


 家について、俺とセンスパは水を飲み一息ついた。
 さすがに危なかった。握りしめていた千円札が、あと一歩の状況であったことを象徴しているだろう。
「大丈夫?怪我しなかった?」
 俺はセンスパに尋ねる。
「大丈夫です、ありがとうございます」
とセンスパ。
 俺はひとまず花鳥風月の連中にメールを送ってみることにする。
『助かった。そっちは大丈夫だった?』
 向こうはまだ家についていない、もしくは、俺のせいで取り込み中かとも思ったが、思った以上に早く返信が返ってくる。
『ああ、大丈夫だ』
 その後もメールをして聞いた話によると、あの不良は花鳥風月の五人が進学した高校の中での問題児らしい。
『不良ぶってるだけで腕は立たないため、大したことない野郎だ』とのこと。それにしては、不良の風格があったと思うのだが・・・・・
『ところでお前らは大丈夫なのか?高校で問題になったりしない?』
と俺はメールを送る。俺のせいで奴らが停学処分などになってしまったら、いくらなんでも申し訳ない。
『なに、大丈夫だ大丈夫。俺の学校では日常茶飯事だから。俺らは傷一つ負ってないし、バレないバレない』
 その返事を見て安心した俺は、素直な言葉で感謝を綴ることにした。
『お前らがいなかったらヤバかった。ありがとう』
 少し照れくさい気もしたが、今の日本人に失われているのはこれだ、と自分自身で思う。
 今度は、返信が返ってくるのに少しの間が開いた。
『別に、通りかかっただけだし』
という書き出しのメール。それだけなら良いのだが、最後に余計なことを付けるのが今の日本人である。そういうところもまた、俺は嫌いではないが。
『それより、一緒にいた女の子誰だよ?彼女?高校生ではないよな』
 横から見ていたセンスパが、
「誤解されたくないので冗談でも肯定しないでくださいね」
と話しかけてくる。まぁ、言われなくても分かっていることだ。俺は
『彼女じゃないって、別に』
という内容で送信。
 今度は返信が返ってくるのが早い。そういう連中だ、花鳥風月っていうのは。
『そっか、なら話は早い。今度紹介してくれよ。彼女じゃないんだったらいいよな?』
 花鳥風月は、中学のころから校内きってのイケメン集団だった。その顔の良さは、先ほどセンスパがも身を以て体験したことだろう。
「こんなこと言ってるけど、どうする?」
と俺はセンスパに鎌を掛けてみることにする。
「私は人相手に恋心を抱くようなことはしませんので」
とあっさり拒否された。
「恋とかそういうんじゃなくてもさ、もっと軽い、ほら、さっき助けてくれた奴ら見て格好良いとかそういうこと思わなかった?」
「思いませんでした」
 今度はすっぱり、という言葉が適切だろうか。
 俺は、花鳥風月の連中に
『こっちで彼女が拒否した。残念でした』
とメールを送信。
 自分のノートパソコンのキーボードを叩き始めたセンスパの後ろ姿を、何となく眺めた。


 翌日。
 いつも通りにお世辞にも行きたいとは思わない学校へ向かって自転車をこぐのは俺である。入試を受ける前は、あれほどまでこの高校に通いたいと思っていたのに、まるで嘘のようだ。自分が勉強嫌いなのは小学生のころから自覚していたつもりなのだが・・・・・。
 今日は誰に会うこともなく校門前まで到着した。いつもはクラスメイトに会うのに、今日は珍しい。いつもより3分だけ遅く家を出たせいだろうか。
 そう思った矢先、校門の前、ちょうどいつも生徒会が挨拶運動を行っているあたりで、見覚えのある顔を見つけた。
 あの人だった。
 誰にも会わないなんておかしいと思ったんだ、今日だけ一年生は休みなのかとひやひやした、などと考えつつ、俺はあの人に「おはよう」と声を掛けようとした。
 が、その俺の動きが止まった。
 俺の自転車の後ろを、だらだらとペダルをこいでいた俺の1.5倍ほどの速度で自転車が追い越したかと思うと、その自転車はあの人の前で急停止した。
「ちょっとちょっと〜」
 その自転車の運転手は、あの人に手を振りながら話しかけた。
「ん、どうした?」
 あの人が返事をする。
 俺が驚いたのは、あの人と会話している人物が、女の子である、という点である。
 あの人が高校に入って女の子と自ら話をしているところは、あまり見たことがない。
 しかし今、あの人は校門前で見知らぬ女の子と会話をしている・・・・・ように見える。
「お弁当、忘れてたよ、もう〜」
 その女の子は言う。少なくとも俺の高校の生徒ではない。見た目、中学生くらいだろうか。
「ああ、うっかりしてた。ありがとう」
 あの人は、女の子から小さな包み(話の流れからして弁当だろう)を受け取り、そう言った。そんな事を言うあの人を、俺は初めて見た。
「じゃあ、私はガッコに行くね〜」
 そう言うと、女の子はその場を走り去った。あの人はその女の子が姿を消すのを見守り、そして何事もなかったかのように校門をくぐっていった。
 ――これは凄い光景を目撃したかもしれない。
 俺はそう思った。
 なんたって、あの人はイケメンのくせに「二次元にしか興味ない」と言って、現実の彼女を作ったことがなく、且つ興味もないのだ(そんなことを俺が言ったら負け惜しみだが、あの人が言うと何故だか迫力がある)。
 そんなあの人が学校の前で女の子と楽しげに会話を繰り広げていた。あれは、ただの関係ではない。どう考えても付き合っている男女の会話だった。
 しかしあの女の子、見た感じではあの人とまったく逆の性格だった。うーん、よくわからん。幼なじみキャラのようだったからな・・・・・
 俺は、思い切ってあの人に話しかけてみることにする。
「おはよう」
「ん、おはよう」
 あの人は、いたって普通の顔で挨拶を返してきた。
「今の女の子、誰?」
 あえて単刀直入に尋ねる。あの人に対しての質問に、修飾は不要だ。
「ああ、見ていたんだ・・・・・」
 あの人はそうだけ言って、黙り込んでしまった。これは怪しい。茶を濁すような雰囲気が、ますます怪しい。
 これは確定かな、と俺は思い、心の中でにんまりとほくそ笑む。あの人の秘密を握った、と一人で勝手に喜んでいた。


 そのまま、あの人とは何事もなく家に帰宅する。
「ただいま・・・・・」
「お帰りなさい」
 玄関でセンスパが出迎えてくれる。いつも通りのやりとりを済ませる。
「明日、出かけるので付き合ってください」
 俺が部屋に入ってベッドに横になると、センスパがそう言った。
「何処に?」
と俺は訊く。
「欲しいPCパーツがあるんです。クレジットカードを使える穴場のお店をネットで見つけたので」
 たしかセンスパは、お金を持っていない、と言っていた。
「クレカは持ってるんだ」
という俺の質問に対し、
「現金の持ち出しはできませんが、クレカは持ち出せるんです」
とセンスパは説明した。
 特に断る都合もなかったので、俺はOKの返事を出し、明日の放課後に校門前で待ち合わせをする約束をした。センスパと二人で出かけられることが、素直に嬉しかった。


 翌日の放課後。
 授業での抜き打ち小テストでうっかり赤点を取ってしまったため、その教師に居残りをさせられていた俺は、急いで校舎を出た。
 昨日、センスパと出かける約束をし、放課後に校門で待ち合わせをしたのだ。
 センスパと話をしていた時間より、30分も遅くなってしまった。単なるイメージだが、センスパは約束時間の5分前には校門前に到着しているような気がする。
 校庭を横切って駐輪所に行き、自転車を取って校門へと向かうと案の定、そこには一人でぽつんと立っている一人の女の子、センスパがいた。
「ごめんごめん、補修で残されちゃって・・・・・」
 俺が言うと、センスパは気を悪くした様子もなければ、にこにこ笑っているわけでもない、いつも通りの無表情な姿で
「いえ、気にしないでください」
と言った。
「何処にあるの?その店は」
「駅前なんですけど・・・・・、この前、服を買って貰った店の近くでした」
 そのセンスパの言葉を聞いて、俺は止めていた自転車を発進させようとする。
「乗る?」
 俺は自転車の後ろを指さして、センスパに声を掛ける。
「でも、二人乗りは・・・・・」
「いいんだよ、別に」
 俺がそう言うと、センスパはすんなり荷台に乗った。
「よーし・・・・・」
 俺はペダルをこぐ。
 二人分の体重がかかっているため、多少、ペダルが重いが気になるほどではない。それに、駅の方向へは坂道で加速することができるために、ペダルをこぐ必要もそれほどない。
 肩に乗っているセンスパの手の重みが、何とも言えず良い雰囲気を出しているような気がして、何となく気分がハイになってきた――


「――良い買い物ができました」
 紙袋を抱えているセンスパが言う。
「袋、持つよ」
 俺は言って、袋を受け取った。
「沢山買ったなぁ、それにしても」
 俺が持っても抱えなければならないほどの大きさをしている紙袋。並んでいるPCパーツを見ている時のセンスパの目は、今まで見た中で一番くらいの輝きをしていた。
「早く家に帰ってスペックを確かめたいです。帰りましょう」
「うん、そうだね」
 センスパの足取りも、少しだけ早い。無表情に見えるその顔も、浮かれているのであろう、少しだけ頬が紅潮している。
 そういえば、この場所はこの前、不良に絡まれた場所だったな――
 唐突に思い、少しぞっとする。花鳥風月の連中が助けてくれなければ、今頃怪我をしていたかもしれないし、財布は空っぽだったかもしれない。おそらく、そうだろう。
 その時だった。
 俺は後ろから引っ張られる強烈な力に立ち止まった。
 急いで振り返ると、そこには、そう、先日の不良集団がいた。
「お前ら・・・・・」
 腹のそこから、やっとでたような声を自分で出してしまう。
「よう、奇遇だな」
 不良の一人が言った。
「お前らには、借りがあったよなぁ・・・・・」
 俺は走り去ろうとするが、服をつかまれている上、手には大きな紙袋。これでは身動きがとれない。
 ――と、俺の腕が他の誰かに引っ張られた。
「こっちです!早く!」
 センスパだった。
 センスパは、俺の腕をつかむと、不良達をふりほどいて走り出した。この前とはまったく逆の状況だ。もっとも、不良が追いかけてくるのは変わらないが。
 どうせなら手を握ってほしいな、などと悠長なことを考えて走っているうちに、センスパは
「ここに隠れましょう」
と言って、角をまがってすぐにある物置を指さした。扉は開いている。
 誰の所有物なのかわからないが、そんなことを言っていられる場合ではない。俺とセンスパは、そこに隠れるとすぐに扉を閉めた。
 足音が聞こえる。
 多分、不良のものだろう。俺達は息を潜める。
 周りはまっ暗だ。センスパの姿さえも、見えない。
 だんだん目が慣れてきた、ような気がする。
 おかしい、頭がくらくらする。
 うっすら見えてきたセンスパの怯えた表情。
 それが、歪む。
 回る。
 周りが、回る。
 俺の頭の中が、回る。
 頭の中の意識が回って、そして、途切れた。


                  (8話から13話まで掲載)

どうも。お久しぶりです。
新アニメ「ネギま!?」の主題歌、1000%SPARKING!が発売されるということで、また小説を書き始めました。
今回は100話までいかない、とあらかじめ予告しておきます。
登場人物を忘れてしまった方は、幸せと材料のころの人物紹介を用意しましたのでこちらをご覧ください。
それでは、お楽しみいただければ幸いです。

 8月も終わりにさしかかったある日。
 ネットを騒がせた祭り、通称ハピマテ祭りから一年が過ぎた。
 あのころ中学三年生だった俺も、今は高校生。学区内NO.2の志望校に入学しほっとしたのもつかの間、ついていけなくなりそうな速度の授業に、やっと慣れてきたところだった。


 中学校のころ仲が良かった友達は、ほとんどの人と離ればなれになってしまった。
 唯一、同じ高校に通っているのが、意外なことなのだが“あの人”である。
 あの人は、成績優秀で圏外の難関校から推薦を受けていたらしいが、それを断って俺と同じ高校を受験した。結果はトップで合格という物凄いものだった。
 それほどまでに頭が良いあの人が、何故、俺と同じ高校を受験したのか、尋ねてみたことがある。
 その時に返ってきた答えは「君といた方が面白いから」だそうだ。なんでも、両親は遠くに住んでいるため、親からとやかく言われる心配がないのだそうだ。
 幼なじみだったあいつは、スポーツが秀でている高校に進学した。もともと運動神経が良かったため、内申点でかなり稼いだ、と言っていた。あいつとは今でも頻繁に会い、仲良くしている。
 中学の最後の学年をずっと委員長という役職で締めくくったあの娘は、あいつと同じ高校を受験し、合格した。あいつとあの娘の恋愛は現在進行形のようで、俺もなによりだと思っている。
 そして一番驚愕的だったのが、一時期俺と付き合っていた、彼女である。
 話よると、彼女はアメリカの高校へと進学したのだそうだ。
 彼女の渡米の話は、両親の都合ということでかなり前から決まっていたそうだ。卒業式を終え、また卒業生全員が集まる機会があったが、その時はもう、彼女は日本にはいなかった。
 誰にも分かれを告げずに日本を去っていった彼女の姿を思い返すと、最後に良い関係で別れておけば良かった、と悔やまれる。彼女のメールアドレスにメールを送っても、連絡が取れずに送り返されるだけで、卒業以来、彼女とは何の関わりも持てていない・・・・・


 俺の内輪の話は以上にしておいて、話を今に戻そう。
その日も俺は、夏休み中だというのに行われた授業を何とか終え、何ごともなく家路についていた。
 額に浮かぶ汗をYシャツの袖で拭いながら、俺は自転車を走らせる。
 真っ青な空。
 澄み渡っていて、快濶なはずなのに、何処かもの悲しい。
 もう一年の前のことなのに、と俺は考える。
「じゃあ、僕はこっちだから」
と、一緒に自転車を走らせていたあの人が、脇道にそれていった。
 俺は、ひたすら自転車をこぐ。坂道が長い――


 家につき、鍵を使って玄関のドアを開ける。
「ただいま・・・・・」
 誰もいない家に挨拶をする。親は仕事で昼間は家には誰もいない。
 いない、はずなのだ。
 それなのに、何故か人のいる気配を感じる。
 何かがおかしい。
 二階にあがり、自分の部屋に入ろうとドアノブに手を掛けて、俺ははっとする。
 部屋の中から物音が聞こえる。カチャカチャ、という聞き慣れた音。そう、キーボードを叩く音のようだ。
――まさか、泥棒?
 俺はそう思ってから、考え直す。泥棒がコンピュータを弄るはずがない。そんな余裕があったら、金目の物を盗み出せば良い。
 もしかして、と思い、次の瞬間、俺はドアを開けていた。
 期待が、叶った。
 ドアの向こう、誰もいないはずの俺の部屋には、一人の女の子が座っていた。
 一年前、突然俺の家にやってきたあの女の子を思いだし、面影を重ねる。
 が、そこにいたのはあの時の女の子、ハピマテではなかった。
 その女の子は、叩いていたノートパソコンのキーボードから手を離し、俺の方を向いた。
 女の子がかけている眼鏡の奥にある、凛とした目が、俺を見つめた。
 そして、俺が何も言い出さないのを確認するかのように間をおくと、その女の子はゆっくりと口を開いて、そして言った。
「姉さんからきいています。貴方が私の兄になるはずだった人ですね?」


 眼鏡を掛けた、俺より少しだけ年下に見えるその女の子は、ノートパソコンをシャットダウンさせて俺の方に歩いてきた。
 鞄を置くことすら忘れている俺は、ただその女の子のことをじっと見つめていた。
「初めまして」
 女の子は何の躊躇もなしに言った。
「君は・・・・・誰?」
 そうは言ったものの、なんとなく俺には分かっていたのだ。この子が、ハピマテと同じような存在だということが。
 と、いうのも、一年以上前に、俺の家にハピマテと名乗る女の子がやってきたことがあった。
 その女の子は、自分は音楽だ、と自称して、さらには自分をオリコン1位にしてほしい、と頼んできた。俺はその女の子――ハピマテと、沢山の思い出を作った。そしてハピマテは別れ際に、自分は物の世界からやってきた、と説明した。その印象的なシーンは、俺の記憶にそのまま焼き付いている。
「私は1000%SPARKINGといいます。センスパ、と呼んでください」
 俺の目の前にいる女の子はそう言って、頭を下げる。
「貴方の予想通り、私はアニメ音楽です。よろしく――」
 その後も、女の子――センスパは、俺に簡単に自己紹介をした。
 ハピマテがそうだったように、センスパ、1000%SPARKINGは魔法先生ネギま、というアニメの主題歌なのだそうだ。おおかたの予想通り、というべきか、それとも意外な事実というべきか迷う。
 目の前に突然、見知らぬ女の子が現れ、「私はアニメ音楽です」なんて言っても、大抵の人は住居不法侵入と見なして警察に通報するだろう。
 しかし、今の俺は違った。
 ハピマテ、という女の子と同居したことがある経験を除いても、このセンスパは不思議なイメージを俺に与えた。
 まるで、「私は本当に音楽だ」ということを示すかのようなオーラを感じたのである。オーラ、というのも、適切な言葉ではないかもしれないが。
 正直なところ、俺はまだハピマテのことが忘れられずにいた。ハピイマテのことを俺は、一人の異性として見ていたし、人生の中で一番本気の恋をした。そして、その想いは今も続いていると言って良いだろう。
 あの時と同じシチュエーションで、ここに、センスパという女の子がいる。これは一体どういうことなのだろう――
「私は、ネギま第二期の主題歌を担当します。それなので、第一期主題歌であったハッピーマテリアルとは、姉妹関係ということです。つまり、ハピマテは私の姉さんにあたるのです」
 丁寧な言葉遣い。出会った直後からタメ口だったハピマテとは対照的である。本当に、ハピマテの妹なのだろうか、と思ってしまう。
 俺が考えを巡らせる余裕も与えず、センスパは話を続ける。
「そして貴方は約1年前、姉さんと同居して愛し合っていたと聞きました。それなので、あのままハピマテオリコン1位になっていたら、貴方は私の義兄になっていたはずなのです」
 オリコン1位になっていたら――
 その言葉をきいて、俺はまた考えてしまう。
 それが、俺が1年間、ずっと気になっていたことだったからだ。
 オリコン1位になることができなかったために、ハピマテはこの世界から消えて、元いた世界へと帰ってしまった。では、もしも1位になっていたら、どうなっていたのだろうか?どっち道、消える運命だったのだろうか。それとも――
「でも、勘違いしないでください。私は、貴方を『お兄ちゃん』なんて呼ぶ趣味はありませんから」
 考えている途中に、何故か戒めを受けてしまった俺は、
「いや、それはいいんだけどさ」
と言い訳口調で返答をし、思い切って疑問を投げかけてみることにする。
「あのままハピマテが1位になっていたら、って言ったけど、1位になってたらどうだったの?」
「え、えと・・・・・」
 センスパはたちまち動揺してしまった。頬を紅潮されて困っている様子は、今までのクールな様子と対比させてみるとなかなか魅力的だ。
「それは失言でした。すみません、その・・・・・言えないんです」
「そうなんだ」
とだけ、俺は返答した。物と人の世界間を越えてきたのだ。それくらいの障害はあるのだろう。
 俺は話題を変えるために、もう一つの考えていたことを問う。今度はきちんとした、それも俺の考えている通りの返答が返ってくるだろうと予想した。
「それで、その・・・・・センスパがこっちの世界に来たってことは、やっぱり・・・・・」
「はい、貴方が思っている通り――」
 俺の言葉を半分に、センスパは話し出すと途中で言葉を句切って眼鏡の位置を直してから続けた。
「貴方には、いえ、貴方達には私をオリコン1位にしてもらいたいのです」
 予想通りの答えだった。


 俺は、「私をオリコンで1位にしてほしい」という言葉に、ハピマテを思い出す。
 センスパの面影が、ふと、俺のよく知っているハピマテと重なった。
 硬い表情でじっと俺を見つめるセンスパに、俺は笑顔を作って返事をした。
「OK、きっとそういうことだと思っていたよ。俺はまた、全力でセンスパを1位にする手伝いをしよう」
 俺の返答を聞いて、センスパの表情がすっととやわらいだ。そして向こうも笑顔を作ると、
「ありがとうございます。貴方ならそう言ってくれると信じていました」
と応えた。
 もし、もしも俺がセンスパの願いを断ったら、センスパはどうしていたのだろう。
 その疑問は、尋ねないことにした。


「私は、メディアの発表に合わせて貴方のところに現れました。それなので、今日中に何かしらの方法で私の存在が世間へ公表されるはずです」
 センスパとの出会いから一息き、俺は着替えをして(センスパは俺が着替えるところを見るのを恥ずかしがった)、お茶を飲んでいる時にセンスパは言った。
「コンピュータを付けてみてください」
というセンスパの言葉のまま、俺はデスクトップ型コンピュータの電源を入れる。センスパ自身の持ち物であるノートパソコンとは大きさも性能も違う。センスパのものの方がハイスペックに見えた。
 立ち上がってから俺はIEを起動し、ブラウジングを始める。ブックマークしているブログやWebサイトを巡るうちに、すぐに目的の情報は見つかった。
 アニメイトのホームページ、商品情報のページにネギま二期主題歌CDの情報があった。
 ただ、まだ『1000%SPARKING』というタイトルは公表されていない。公表されているのは発売日と価格のみ。
 11月8日発売。1200円。
 735円だったハピマテに比べ、少し高めの値段設定だが、収録曲情報を見るとオープニング、エンディング共に収録されているようなので納得の価格だ。
「曲名まではまだ公表されてないみたいだね」
と俺が言って振り返ると、センスパも自分のノートパソコンで同じサイトを見ていた。
「そうですね・・・・・。あの、ネットで私の名前を言いふらさないで貰えますか?秩序が乱れてしまうので」
 その頼みに俺は承諾する。センスパは安心したような表情を見せた。ポーカーフェイスなのではなく、感情表現が苦手のように見える。
「センスパも俺のコンピュータを使っていいのに」
と俺が言うと、センスパは
「私は自分のがいいんです」
と言って、顔を向けることもしない。よく分からない子だ。
 さて、オリコン1位にするもなにもまだ相手が分からない状況である。ハピマテスレに新主題歌情報のURLを載せるだけで、何もすることができない。
 とりあえず、俺はセンスパと親睦を深めることにした。それからでも活動は遅くない。なにしろ発売は11月。まだ3ヶ月もある。
ハピマテは自分を好きになってくれた人への恩返しのためにこっちの世界に来た、って言ってたけど、センスパもそうなの?」
 俺が尋ねると、センスパは
「それは・・・・・今の私からは言えないんです。実際に1位になってみないと貴方には分からない、としか言えません。ごめんなさい」
とだけ答える。
 俺はまた別の質問を重ねる。
「えっと、なんか敬語だと調子狂っちゃうんだけど・・・・・タメ口でいいよ?」
「いえ、一応、私という存在はこちらでは貴方より年下ですし、それに普通、あちら側――物の世界のことですが――から来た物は、パートナーの人には敬語に接するものなんです」
 センスパの返答に俺に一つの疑問が浮かぶ。
「・・・・・パートナーっていうのは何?」
「あ・・・・・え・・・・っと・・・・・すみません、失言でした。詳しくは言えませんが、今の私にとって貴方がパートナーに当たります。姉さんのパートナーも貴方でした」
ハピマテは最初からタメ口だったけど・・・・・」
「それは姉さんが異常だったんです!」
 何故か強い口調で言われ、俺は押し黙ってしまう。
 そんな俺の様子を見て、センスパは溜息をついた。
「思った通り、貴方は姉さんのことをまだ想い続けているようですね・・・・・」
 その口調から、センスパがハピマテに嫉妬しているように見えたので、俺は
「そうだけど・・・・・」
と言った後にセンスパを慰める。
「そうだけど、センスパのことも嫌いじゃないよ?」
 するとセンスパは
「な、なにを・・・・・・」
と言うと少し照れたようなそぶりを見せた。が、すぐにツンとした顔に戻る。
「勘違いをしないで欲しいんですけど、私は貴方をどうとか思っていませんし、パートナーというのもそういう意味ではないんです!」
 そのままセンスパはそっぽを向いてしまった。
 別にそんな深い意味はなかったのに、と俺は思う。センスパがそこまで無気になる理由が、俺には分からなかった。


しばらくそっぽを向いて自分のノートパソコンを弄っていたセンスパだったが、ふと手を止めると俺の方に向き直った。
「姉さんは、私達の世界へ戻ってきても貴方のことは忘れていませんし、貴方への気持ちも冷めていません」
 突然の言葉だったので、俺は少々驚いた。
 そして、その内容を自分の心の中で反復して、さらに驚く。
 センスパは続ける。
「これって少し異常なことなんです。ブツゴの世界のことをまだ想い続けているようなことは、普通考えられません」
「ブツゴの世界って・・・・・?」
 センスパの言葉で疑問に思った点を、俺は素直に質問する。
「あ、ブツゴの世界っていうのは、物に後と書きます。今、私がいる世界、つまり、貴方が普段暮らしている世界を私達はそう呼んでいるのです」
 ハピマテが、まだ俺のことを想い続けてくれている。
 それは、俺にとって衝撃的な事実であったし、嬉しい事実でもあった。
 俺はまだハピマテのことを忘れていない。しかし、ハピマテは物と人との世界間を往復したわけだし、俺のことなど覚えていないものだと思っていたからだ。
「そっか、そうなんだ・・・・・」
 俺の顔に自然と笑みがこぼれる。
「だから、少しはハッピーマテリアルの音楽を聴いてあげてください。それだけで、ほんの少しですが姉さんの力の源になるんです」
 センスパの言葉を聞いて、俺は思う。
 俺は、あんな夢みたいな経験は忘れようと思っていた。だから、ハピマテを聴くことも自分で断ってきた。
 が、センスパの言葉を聞いて、久しぶりにハピマテが聞きたくなった。いや、ただ自分で制限をかけていただけで、ずっと聞きたかった音楽なのだけれど・・・・・
 久しぶりに棚からCDを取り出し、コンピュータのCDドライブに入れる。思い出の、5月度バージョン。
 忘れようとしていた思い出が浮かび上がってくる。完全に忘れなくて良かった・・・・・。何故か、目に涙が浮かぶ。
 センスパのじっと見つめられていることに気付き、俺は慌てて話題を変える。なんとなく泣いているところを見られるのは恥ずかしい。
「そうだ、1000%SPARKINGっていうのは、どういう曲なの?」
 センスパも俺から慌てて目線を逸らし、答えた。
「それは、教えられないんです。えっと、情報の矛盾を防ぐためにこちらの世界で曲の内容が分かるまでお知られません。姉さんと違って私はゼロからのスタートになるので、少し不便なんです」
「そうなんだ・・・・・」
 センスパの答えを聞いて、音楽を聴くのは後のお楽しみでも良いだろうと考える。。
 でも、と俺は思う。
 あのハッピーマテリアルの妹なのだ。悪い曲のはずがない。
 現に、センスパはこんなに良い子だ。これが、悪い曲のはずがない。
 センスパの出来を想像するだけで、今の俺は満足だった。


 夜に親が帰ってきて、センスパについて偽りの説明をして同居することを認めて貰った。
 こういうとき、単純で疑いをしらない母は良い人だ、と身に染みる。なんとも不謹慎な話なのだが、センスパに関して本当のことを言うわけにはいかない。
 それに、礼儀正しいセンスパは、すぐに母に気に入られた。ハピマテも活発で良い子だ、という理由で気に入られていたな、と俺は思い返す(結局母はどうでも気に入るのだろうか)。
 いざ寝る時となって、寝る場所で少しセンスパと揉めてしまった。
 センスパが俺と同じ部屋で寝ることをかたくなに拒んだのである。
 俺だって同年代の女の子と寝ることには抵抗がないわけではない。しかし、ハピマテは何も言わず同じ部屋で寝泊まりしていたし、俺も特別それを意識したことはなかった。
 そのことを伝えても、センスパは
「同じ部屋はちょっと・・・・・恥ずかしいです・・・・・」
と俺の提案を断る。
 しかし、部屋が足りないという問題はどうしようもない。女の子をリビングのソファで寝せるわけにはいかないし、俺だって何日間もそれは嫌だ。
 結局、センスパも承諾して同じ部屋で寝ることになった。ベッドはセンスパに明け渡し、俺は来客用の布団を引っ張り出して寝そべる。ぺったんこになっていて気持ちが悪い。後で干そう。
「おやすみなさい」
と眼鏡を外すセンスパのことを見て、俺は思う。
 ――眼鏡を掛けていない素顔の方が可愛いじゃないか
 だが、それを言葉で伝達するより前に、センスパは寝息を立て始めた。初めての人の世界(“物後の世界”というそうだが)は、センスパにとって大変な場所だったのかもしれない。
 寝顔を眺めてから何となく罪悪感にかられた俺は自分の布団を頭から被り、
「おやすみ」
とだけ言って眠りについた。


 翌朝。休業中に行きたくもない学校に行かなければならないため、俺は目覚まし時計にたたき起こされた。
「おはようございます」
 俺が目を覚ますと、すでにセンスパが昨日着ていた服をきていた。
「早いね」
「はい」
 昨日の出来事が夢でなかったことを確認して安心した俺は急いで身支度を済ませ、自転車にまたがった。
「いってらっしゃい」
「いってきまーす」
 挨拶を交わし、俺はペダルをこぐ脚に力を入れる。
 自転車はいつものように、爽快に動き出した。


「おはよう」
 声がして振り返ると、そこには眼鏡を掛け、いつも通りの普遍的な様子で自転車にまたがるあの人がいた。
 挨拶をして、俺は自転車の速度を緩める。
「ブログ巡回してたら見つけたんだけど、ネギま第二期の主題歌発売日が決まったね」
 あの人が話しかけてくる。さすがに、情報が早い。
 俺が頷くと、それを確認したようにあの人は続ける。
「懐かしいな、あれから一年か。文化祭でライブをやったりして、楽しかったね、あの時は」
 確かに、そうだ。あの人がいたからこそ、俺の周りで成功した祭りだったと思うし、あの人がいてからこそのバンド、『MATERIALS』だったのだから。
 俺は、「もちろん、今度も1位にする祭り、やるよね?」と尋ねようとした。尋ねようとしたが、俺がその質問を口に出すことは出来なかった。
 その問いを投げかけるより前に、あの人がこう言ったからだ。
「でも、今回は買わないかな、僕は。盛り上がらないように思えるから」
 ・・・・・・え?
 俺は自分の耳を疑った。そして、一気に身体全体が脱力した気がした。
 あの人がいてこそのオリコン1位祭り。そう思っていた。しかし、あの人の参加辞退。これは、少なからず、俺の精神にショックを与えた。
「そっか・・・・・」
と言ったはいいが、俺の気は晴れていなかった。


 その日の授業は集中できなかった。
 センスパを1位にするために必要不可欠な存在であったあの人を欠いたことになる。これは、少なからず困った。
 「君といると楽しいから」と言って、俺と同じ高校に入ってくれたあの人は何処にいってしまったのだろう。思いが変わってしまったのだろうか。もう、昔のことなど切り捨ててしまったのだろうか・・・・・
 こうなってしまうと、俺自身、また同じCDを何枚も、何十枚も買うことが正しいことなのか、方向を見失ってしまった。
 正しいなんて、ないのかもしれない。しかし、人間は、常に正しさを求めてしまうのものだ。俺もその中で、例外ではない。
 センスパと約束した以上、センスパ1位運動をせずにいるわけにはいかない。あの嬉しそうなセンスパの笑顔を、忘れたわけではない。
 しかし、あの人も盛り上がらないと言っているように、俺もハルヒ祭りを合わせて3度目のこの祭りが、ネット上で盛り上がるのか。それが不安だった。
 帰り道、俺は一人で自転車をこいでいた。
 頭の中では、センスパのことだけを考えている。昨日俺の前に現れたセンスパ。あれは、幻だったのかもしれない。そう思えば、俺はいま、11月8日のことをこれほどまでに考える必要はないのだ。
 踏切で足止めされたところで、俺はポケットから携帯電話を取りだした。
 中学のころ親友だった、あいつにメールを送ってみることにする。
 あいつも、中学でハピマテ祭りを一緒に首謀した仲間である。あいつには、まだセンスパのことは言っていない。
 俺はアドレス帳からあいつのアドレスを引っ張り出し、本文を書いた。
ハピマテの続編みたいなCDが出ることが決まったらしい。でも、また去年みたいにオリコン活動をするべきなのか迷ってる。あの人もやる気ないみたいだし、お前ももう飽きちゃったかな?』
 かなり弱気なメールになってしまったが、遮断機が開いたので送信。返信は家に帰ってから見よう。そう思い、ポケットに携帯電話をしまい、再び自転車をこぎはじめた。


 家に到着し、玄関のドアを開ける。
「おかえりなさい」
 センスパの声がした。幻では、なかったようだ。俺は心から一安心する。
「ただいま」
と言ってから、俺は鞄を下ろして溜息をついた。
「何かあったんですか?」
と無表情のまま尋ねるセンスパに
「なんでもない、大丈夫だよ」
と答えてから、俺はポケットに手を突っ込み、携帯電話を取り出した。
 新着メッセージ1件、の文字。メールボックスを見ると、あいつからの返信であった。俺は急いでそれを開いて確認する。
 液晶に浮かぶ文字に目を滑らせる。目がチカチカするが、気にすることはない。いつものことだ。
 センスパが横から
「見てもいいですか?」
と訊いてきたので、俺は頷いて承諾する。センスパは俺に身体を寄せるのを一瞬躊躇したが、すぐに妥協して顔を寄せてきた。
 あいつからのメールの内容はこうだった。
『何言ってんだ。あの時に1位に出来なかった分を今回やるんだろ!他人がどう言うかなんて何か関係あるのか?意味わかんねーぞお前。少なくとも俺はやるぜ。楽しいからな、なんたって。そう弱気になるなよ、お前らしくない』
 3回、そのメールをくり返し読み、俺は携帯をしまった。
「友達からですか?・・・・・・良い友達ですね」
 センスパが感想を述べる。まったく、その通りだと思う。
 良い親友を持ったもんだ――
 俺は再び、溜息をついた。今度は、感嘆の溜息だった。
 まったくもって、あいつの言う通りである。あの人一人だけが断ったからって、すぐに活動自体を諦めるなんて馬鹿みたいだ。俺にはまだ手持ちのカードが残っているし、その中に切り札だって何枚もある。
 その中の一枚の切り札を失っただけじゃないか。まだ打つ手は星の数ほどある。やってやろうじゃないか。前に、1位に出来なかった分、今回――
 あいつからのメールに励まされた。
 俺は、切実に、あいつに感謝していた。


「目薬をさすので、眼鏡持っていてもらえますか?」
 俺が風呂からあがると、センスパが俺の部屋のベッドに座りながらそう言った。
「OK」
と言って、俺はセンスパから眼鏡を預かる。眼鏡を外したセンスパの顔を見るのは初めてではないのだが、その顔は惚れ惚れしてしまうほどパーツのひとつひとつが整っている。一般的に、こういう女の子のことを美人と呼ぶのだろう、と俺は思う。
「あのさ、センスパ。俺の好みの話だけどさ、眼鏡してない方が可愛いと思うよ?」
 その俺の言葉に、センスパはせき込んだ。その拍子に手に持っていた目薬を床に落としてしまったほどだ。
「な、なにを・・・・・」
 センスパは落とした目薬を手で拾って、俺の方を向いて言った。
「可愛いとか、そういうのは関係ないんです。私はコンピュータのせいで目が悪いんですから・・・・・」
「こっちの世界に来たのは良い機会と思って、コンタクトにしてみたら?明日、暇だから眼科に行くの付き合ってもいいよ」
 俺は一つ提案をする。下心は、正直な話、少しはあった。
「別にいいです。私、保険証持っていませんし・・・・・」
「うーん、でも、俺は眼鏡がない方が良いと思うけどなぁ・・・・・」
と、飽くまで食い下がる俺に、センスパは怒ったような、しかし、少し照れているような表情をして、
「あ、貴方の考えは関係ありません!」
と言う。
 その後、少しだけ俺とセンスパの白熱した(不毛な)議論が続いた――


――五分後。
結局、俺に押し通されてコンタクトを作りに行くことになったセンスパがいた。
「代金は貴方が出してくれるんですよね?私はお金持ってませんよ?それに、私は眼鏡があるわけでこんな、コンタクトなんか必要ですし・・・・・」
「分かった分かった」
 俺は、しっかりと眼鏡屋のパンフレットを握りしめているセンスパをなだめる。頑固に見えるセンスパも、それほどしつこく提案を重ねなくともすんなり(見た目はすんなりではないが)承諾してくれた。
「じゃあ、明日、眼科に行こう。午前中にね」
 俺がそう言った瞬間、携帯が鳴った。曲はハッピーマテリアル
 開いてみると、あいつからのメールだった。昼間の件だろうか。
 内容は、あいつ独特の用件のみを書いたものだった。
『明日、会えるか?』
 そのメールを横から見ていたセンスパは、
「あ、私の方の用事はまた今度でいいですから。友達との用事を優先してください」
と言う。残念なところを強がって見せているようにも見える。
 そんなセンスパに俺は、
「大丈夫だよ」
と言って、微笑んだ。
「友達と会うのは午後からだから。眼科には午前中に行こう」
 センスパが頷いたのを確認し、俺はあいつにメールの返信をする。
『午後なら会えるよ』
 返事はすぐに返ってきた。
『OK、じゃあ2時に駅前で。他の友達も呼ぶぞ〜』
『分かった』と最後の返信を行い、俺はセンスパをちらりと見た。
「楽しみだね」
と話しかけた俺に、センスパは曖昧な笑顔を見せた。思いっきり笑いたいが、自分のプライドが許さない。そう言っているようだった。


 翌日。
 休みの日なのに早起きした俺は、朝からいない母親の変わりにセンスパが作った簡単な朝食を食べて眼科へと向かった。
 視力などを計り、処方箋を受け取るとすぐ隣の眼鏡屋へ行く。
 コンタクトは少し待つだけですぐに受け取ることができた。俺は視力が良いので眼鏡もコンタクトも経験がないが、こんなにも簡単にできるものなのかと驚嘆した。
 眼鏡を外し、店員の指示にしたがってコンタクトを付けるセンスパ。そのびくびくした姿が、何となく愛らしい。
「お似合いですよ」
と店員に言われ、
「えっと・・・・・どうですか?」
と、妙に照れながら、俺の方に振り向く。
「うん、やっぱりこっちが良いね。似合ってるよ」
「そ、そうですか」
 恥じらっているのに、クールを保とうとして失敗し、かえって挙動不審になっているセンスパは何故だか魅力的だった。
「ふふ、お似合いですね、お二人とも」
と気を利かせて言う店員に
「な・・・・・、そ、そういうんじゃありません!」
とやっきになって否定するセンスパに、今までとは違う感情が芽生えたのは、この時が初めてだったのかもしれない、と俺は後々になって思うことになる。
 だが、その時はただ笑いながら、慌てているセンスパの姿を見ることだけをしていたのは、俺の神経回路がそういう方面に異常を抱えているせいかもしれない。



         (第1話から第7話まで掲載)

「俺と幸せの材料」登場人物


※ 物語に直接かかわる、所謂ネタバレな部分は[ ]内に反転で見られるように記載してあります。
  一度物語りを全て読んだことがある方はCtrl+Aで全て反転し、まだ未読の方は[ ]内は見ないことをお勧めします。






主人公 (俺)
中学生三年生。毒舌音楽評論家。
[ある日訪れたハピマテにいつの間にか恋をし、ハピマテオリコン1位にしようとするが、失敗。]


ハピマテ
ある日突然、主人公の家にやってきた女の子型音楽。
[主人公のことが好き。最後はオリコン1位になることができなかったので、人間が住む世界を去ることに]


あいつ
主人公の同級生。親友。
[あの娘に告白をし、OKされる。ハピマテ1位運動にクラスメイトの協力を促した良い奴]


あの娘
主人公のクラスの委員長。主人公が前まで好きだった人。
[一度、主人公に告白するも断られる。その後、あいつに告白されOKを出す]


彼女
主人公の隣のクラスの女子生徒。
[主人公のことが好きで告白をし、一度OKされるがその後別れる。主人公とはギクシャクした関係]


あの人
彼女と同じクラスの男子生徒。成績優秀、容姿端麗。
[実はVIPPERでア ニメオ タク。イケメンだが三次元の女には興味がない。]


ハピマテがいなくなってから1ヶ月。俺は気持ちをなんとか取り戻し、今まで通りのの学校生活を送っていた。
そこへやってきた、東京への「修学旅行」という大きな行事。
そして、「あの人」からの招待。
―禁止されている聖地、秋葉原への秘密の脱走
――夜中、部屋を抜け出して真の親睦を求めての肝試し大会
―――最後に行われる、新幹線イベントでの教員がしかけた罠
ルールにしばられた、つまらない旅行を最高のシアワセに変える、計画――






サァ、シアワセノ旅ヘ・・・・・







9月。ネット界で行われた、壮大な祭りが一つの区切りをうってから一月が経った。
壮大な祭り、ハピマテ祭りである。
ハピマテスレはライブドアのしたらばに拠点を移し、紅白へむけての活動を行っていた。
俺は、毎日ハピマテスレを覗いてはいたものの、ロムばかりで書き込むことはめったになくなっていた。
また、ハピマテと会いたい。
そういう感情が、俺の中で現れては、消えた。
俺にとって、ハッピー☆マテリアルは特別な存在だった。
ある日、俺の家に現れ、自らを『音楽』だと自称し、そして自らをオリコン1位にしようと前向きな姿勢をいつでも俺に見せてくれた少女。
それが、俺の中での『ハピマテ』だ。一枚のCDではない。俺にとってもハピマテは、いつでも『人』であり、『異性』であった。
「さて、学校か・・・・・」
俺はそう呟いて立ち上がり、カバンを持って俺の通っている中学校へと向かった。


学校に到着すると、俺の机の上に一冊の冊子が置かれていた。
表紙には、こう書いてあった。
修学旅行のしおり
俺の通う中学校では9月に修学旅行がある。行き先は毎年、東京と決まっていた。
俺のような地方民にとっては東京とはいかに凄い場所なのか、都会に住んでいる人達には分からないと思う。
なにより、深夜アニメが見れる、というところが、俺の中では一番の魅力だった。
一応、ハピマテスレの創設者である俺は、今となってはどっぷりとアニメの世界へ浸っていた。
しかし、俺の住んでいる地方では、深夜アニメが地上波では一切放送されておらず、DVDを買うか、レンタルするかに頼るしかなかったのだ。
そんな所に住んでいる者としては、毎日深夜にアニメがやっている東京などの他の地方はとても魅力的に見えた。
それに東京には、なんと言っても――
「修学旅行のしおり、やっと配られたな!」
そう言って俺の考え事を途中でぶったぎったのは、小学校のころから大親友だったあいつだ
「あぁ」
俺は一言そう言ってから、しおりをぱらぱらとめくった。
持ち物表、日程表、注意事項、お小遣い帳・・・・・
めくりながら、俺は考え事の続きをする。
東京には何といっても、俺のようなものにとっての『聖地』がある。
秋葉原である。
電車男なんかのブームによって、一躍有名になり、その聖地の原住民の人たちにとっては居心地が悪くなった、ときく。
そんな場所に俺のような半端で、しかも修学旅行で訪れている者がずかずかと踏み込んでいくのは些かひきめを感じるところもあったが、それでも俺はどうしてもその場所に訪れてみたいと思っていた。
そんなことを考えながらめくっていた、修学旅行のしおりの中の一頁、一部分に俺の視線が集中した。
タイトル欄に大きく『禁則事項』と書かれているページである。
その中には「ゲーム機や漫画等を持ち込むことを禁止します」「万引きは大きな犯罪です」等のごくごく初歩の禁則がびっしりと書かれていた。おそらく、教師が職員会議で決定したことをそのページに盛り込んでいるのだろう。
そのページにある一文は、俺の意識を一瞬失わせるかのごとくオーラを放っていた。
「三日間の日程の内、都内にある秋葉原地域に侵入することを禁止します」――


「・・・・・さて、と」
その日の授業がすべて終わり、放課後。
俺は屋上に来ていた。屋上は、生徒同士が秘密の話し合いをするときによく使う場所である。そればかりか、教員も生徒に秘密で話しをするときに、よく此処を使う。
そして、俺が屋上にいるということは、当然、秘密の話をしているわけである。
その話し相手というのが、他人からは壮大な敬意と些細な疑心から『あの人』と呼ばれ、一目置かれた存在になっている人である。
隣の学級に所属しており、成績トップ、イケメン、運動神経もそれなり、という出来すぎた男であるが、内面にはオタク、VIPPER、二次元にしか興味を示さないという強烈な性格を隠している。
ハピマテ祭りが俺の残してくれた大きな幸せ、友達の一人である。
「このしおりは君も読んだのだろう。それだからこそ、僕が此処に呼び出した時、に闘争心をむき出しにして頷いてくれたのだろうと思うしね」
あの人が言った。
「此処に呼び出したのは、これの話をするためだよね?」
俺は、しおりの『禁則事項』のページの一部分を指さして言った。
「もちろん、それもある」
あの人は静かに言った。
俺は、ふとした考えが頭によぎった。
「そうか、君は俺よりも成熟した立派なオタクだもんね。アキバにくらい何度も行ったことあるだろうし、こんな禁則、あってもなくても同じだったのか・・・・・」
その考えを口に出した俺に、頭を掻きながらあの人は
「いや、実は僕も秋葉原には行ったことがないんだ」
と語りかけるように言った。
「意外だ」
俺は一言、そう言った。本当に心の底からそう思っていた。
「うん、そう思われるかもしれない。でも、僕が秋葉原に行ったことがないっていうのは本当なんだ。東京にも、2〜3度しか行ったことがないし」
俺は、一度も行ったことがないぞ。
そう言おうとしたが、やめた。今、あの人が話そうとしていることには何の関係もないことだ。
「君を呼んだのは、その通り、秋葉原に行くことを禁止された事についてだ。これは、文化祭のこともあるだろうね。秋葉原は最近、悪い意味で有名になってるし、先生方も悪影響を及ぼす場所だと思ってしまったことだろう」
『先生方』の部分を、嫌みったらしく強調して言ったあの人は、後ろを向いた。
「単刀直入に訊こう」
後ろを向いたまま、あの人が言う。
禁則事項を破る気はあるかい?」
「・・・・・」
俺はすぐには答えなかった。
文化祭のことで、俺達の認知度は0以下に下がっているだろう。俺は今、受験生だがもう推薦入試などは考えたこともない。
「それって・・・・・」
「もちろん、漫画を旅行に持っていこう、などと話しているのではない。具体的に一つの例をあげれば、そう、『秋葉原に一緒に行く気はあるか』ということだ」
・・・・・やっぱり、そうか。
俺は少し考えた。ここで罰の悪いことをすれば、内申点が下がるのは確実だろう。
ゲーム機を持っていく、程度ならバレないかもしれない。だけど、教師達のことだ。俺達が、その立入禁止の聖地に訪れることを禁止するだけではなく、見張ることも考えられる。
あの人が振り向きざまにこう言った。
「ここで秋葉原に行ってこそ、今までの僕たちだと思わないかい?」
あの人は、笑っていた。いつもの冷たい笑いではない、ただ単純に状況を楽しもうとしていたのだ。
そんな多少恐ろしい笑顔を見ているうちに俺の気持ちが動いた。
「OK、その話、乗った。」
俺が言うと、あの人は満足げな表情で
「君ならそう言ってくれると思っていたよ」
と言った。そして、カバンから一冊の冊子を取り出すと、俺に手渡した。
「これ書いてあることにどの程度賛同するかは、君の自由だ。一つだけでも構わないし、全部でももちろん良い」
俺は、その冊子の表紙を見た。
修学旅行のしおりと似たような冊子だったが、少し違った。
いつのまに、こんなものを作ったのだろう、と俺は思った。
表紙には、『裏・修学旅行のしおり』と書かれていた――





―― #1 アキハバラへ、いらっしゃい ――





修学旅行当日。新幹線の自分の座席に座って、俺は修学旅行のしおりを開いた。
一日目は東京についてから12時まで判別自主研修。午後からは国会見学となっている。
12時にお茶の水駅に集合。13時までに各自その周辺で昼食をすませ、13時15分にバスで国会議事堂へと出発する、という日程だ。
タイムスケジュールを一通り確認した俺はしおりをリュックの中へとしまい、変わりにお菓子を取り出した。
お菓子を食べようとすると、誰かに肩を叩かれる。振り返ってみると、そこに立っているのはあの人だった。
「ちょっと、いいかな?」
そう言って手招きをするあの人に連れられ、車両と車両の連結部分、新幹線から乗り降りするドアが設置してあるスペースへ向かう俺。
「今日、これからの計画を確認するよ」
黙って頷く俺。計画は教員の考えと180°違う考え方をしている。バレてしまったらせっかくの修学旅行が台無しになるだろう。
その、計画というのがなんとも俺達らしいものなのだが・・・・・
「幸運なことに集合場所のお茶の水駅は秋葉原駅の隣の駅だ。料金は130円」
あの人が話を切りだした。
「自主研修の最中、僕たちが立入禁止の区間に侵入しないよう、先生方は僕たちのGPS機能付き携帯電話を持たせるつもりでいる。なんとも用心深いことだけど。」
――GPS、Global Positioning Systemの略称で人工衛星をつかい人の居場所を正確に割り出すシステムだ。
最近は携帯電話に内蔵されているものが出回っている。便利な時代になったものだ。
「これを1班に1台持たされている限り、自主研修の最中に秋葉原にいく、などという安易な考えは通じないということになる。そこまでして先生方はそれを阻止したいのだろう」
一呼吸おいてから、あの人は笑って言った。
「そこで、僕たちが秋葉原にいく時間は、昼食をとる12時から13時までの1時間」
あの人が『裏・修学旅行のしおり』を取り出す。精密にできた"やってはいけないこと"専用の冊子である。
「自主研修の最中、お茶の水駅に立ち寄り130円の切符をあらかじめ購入しておく。時間短縮のためにね。そして12時に集合してみんながお昼ご飯を食べに行くのに紛れて電車に乗り、秋葉原まで行く。そして――」
「なんの話をしているの?」
後ろから突然話しかけられ、焦って振り向く俺。あの人のメガネの奥にある目はその人物のことをじっと見つめている。
そこに立っていたのは三学年副主任の女の先生だった。
若い先生であるがきびきびとした動き、分かり易いといわれている授業から副主任の座についたらしい。
「せっかくの修学旅行ですもの、楽しみたいわよね。・・・・・・で、なんの話をしているの?大きな声では言えないけど・・・・・」
そう言って本当に声を小さくする副主任。
「・・・・・校則を破ることを計画してるんだったら、私も協力するわよ?せっかくの修学旅行ですもの」
そう言って不適に微笑む副主任。
俺は、助かった、と思った。
教員の中に味方ができればそれに越したことはない。自分達の計画を手助けしてくれる先生は前にもいた。文化祭のときに助けてくれた、国語の先生だ。
今、俺達には教員達の動きを探る味方が必要だった。が、そんなことができて、味方についてくれる人がいるとは思っていなかった。
「それがですね――」
俺が計画を話して教員達の動きを食い止めてもらおうと話し始めたとき、あの人が俺の言葉を遮った。そして、こう言った。
「自主研修の最中に、GPS携帯を駅のホームに置きっぱなしにして、その隙に秋葉原へ行こう、という計画なんです。立入禁止区域にどうしても入りたいので」
あの人が言ったのは、デタラメな計画だった。
俺はあの人がなにをしたいのか分からなかった。せっかく味方になってくれる、と言っている副主任を、自分達側につかせるに越したことはないはずなのに。
あの人の嘘の計画をきいた副主任は満足げに
「そうなの。楽しそうね。それなら、私は他の先生方の動きを食い止める役割につこうかしら。そうすれば自主研修の最中、あなたたちも動きやすいでしょう」
「そうですね。ありがとうございます。よろしくお願いします」
あの人は冷たい目つきで副主任を見つめながら、答えた。
副主任は軽く手を振ってその場を離れる。その姿が見えなくなったのを確認すると、あの人は俺に
「君の悪い癖は人の言うことを簡単に信用してしまうところだね」
と言った。
「味方についてくれるっていってくれてるのに信用しない手はないんじゃ・・・・・」
「副主任は先生方が僕たちに差し向けたスパイにすぎないってことを理解しないと。副主任の言っていることがまずデタラメだよ。先生方のうち一人でも僕たちの計画の味方についてくれる人がいる確立は、宝くじで3億円が当たる確立よりも低いね」
あの人がきっぱりと言い放ったのを聞いて、俺はその事実を確信した。
あの人が間違ったことを言うはずがない。そんな考えが何処かに芽生えたのだ。
「この旅行中、副主任は要注意人物だね。あの先生に本当のことは何一つとして話してはいけない。わかった?」
あの人の言葉に俺は無言で頷いた。
「それじゃあ、残りの移動時間を有意義に過ごそうじゃないか。せっかくの新幹線なんだからね」
そう言って笑うあの人は、本当に状況を楽しんでいるように見えた。


そして始まった自主研修。俺の班は浅草や美術館などを廻った。
もちろん途中でお茶の水駅に立ち寄り、130円の片道切符を買うのも忘れなかった。
全ては秋葉原のためだ。最近観光地化しているという秋葉原だが、俺の興味をかき立てるには十分すぎる場所だった。
そして、11時45分。再度お茶の水駅に時間通りに集合した俺達の班。
あの人の班はもうすでに到着していた。50分になると、他の班も全てそろい、先生達からの簡単な話を聞き、GPS携帯を回収されてから昼食となった。
全員が解散し、駅近くの食事処へと向かう。が、俺とあの人はもちろん違った。
トイレに寄るふりをして、駅の改札をあらかじめ買っておいた切符を使ってくぐる。
無事、秋葉原駅行きの電車の乗った俺とあの人。電車の席は比較的空いていた。
「先生方は僕が副主任に言ったことを真に受けて、自主研修の最中は交代で秋葉原駅を見張っていたみたいだよ。やっぱり副主任はスパイだったみたいだね」
電車の中で、あの人が言う。
「・・・・・なんでそんなこと分かるんだ?実際に行ったわけじゃないんだろ?」
と、俺は訪ねたが、あの人はやれやれというように首を振って、
「携帯から2ちゃんにスレを立てたんだ。『秋葉に背広を着て修学旅行のしおりを持った教師らしき人がいる。修学旅行で秋葉原を訪れるような時代になったのか』って。そうしたら案の定、『駅で俺も見かけた』ってレスがたくさん付いたよ」
・・・・・恐ろしい人だ。個人の携帯電話は持ってきてはいけないはずだけど・・・・・
「持ってきていけないものを持ってくるのが、修学旅行の醍醐味だと思わないかい?」
・・・・・恐れ入りました。
「ほら、着いたよ」
というあの人の言葉で俺は立ち上がった。そして、電車を降りる。
聖地秋葉原に初上陸した俺は、なんとなく、なんとなくだけど嬉しい気持ちになった。
先生達の目を欺けた、ということ。そして、憧れていた秋葉原についに来たのだ、という興奮。そんなものが交差し、俺は胸を躍らせた。


その聖地は予想以上だった。
駅前でメイドさんがチラシを配っているし、駅に備え付けてある看板が全て所謂萌え系のものだ。
俺の住んでいる街にも小さいながらアニメイトゲーマーズ等の専門店がある。
が、それらは人目を忍んだ路地裏のような場所に店を出していた。
しかし、ここは違う。でかでかと『ゲーマーズ、ここから徒歩3分』の看板が出ているのを始めとして、店頭に設置してあるテレビからはアニソンの宣伝PVが流れているし、ギャルゲーの宣伝看板なんかまでもが、ビルの壁に設置してある。
電車男』が流行り、秋葉原もかなり有名になったと思われていたが、テレビではこのようなアンダーグラウンドな世界は完全に隠して放映されていたことに気づいた。
俺が特番やドラマなんかで見てきた、『聖地秋葉原』は全てマスコミに刷り込まれた幻想にすぎなかった。テレビで見ていたものよりも、凄い。
意外にもここに初上陸、というあの人も同意見のようだった。
さて、時間は1時間しかない。コンビニで買って置いたおにぎりを昼食代わりにぱくついた俺とあの人は、さっそくその街の探索を始めた――


――13時。
俺とあの人は地元では売っていない代物や話題のおでん缶なんかをごっそり購入し、お茶の水駅にこっそりと戻ってきた。
先生達もちょうど食事から帰ってきたところのようで、俺達が駅の改札から出てきたところは目撃されていないようだった。大成功だ。
先生達が世間話で盛り上がっている影で、あの人は買ったおでん缶を開け、その場で食べた。そして、食べ終わったその缶を近くにあった水道で綺麗に洗うと、再び鞄にしまった。
「今、食べちゃうんだ」
俺が訊くと、
「今食べないといけない事情があるんでね」
と答えたあの人は笑って俺を見る。その不適な笑みが何を意味しているのか、俺にはさっぱり分からなかった。



夜。時計の針が11時50分を指している。
古い旅館のの16人部屋という大部屋で寝ていた俺はふすまが開く音で目を覚ました。
そこに気配を消したように立っていたのは、あの人。
あの人は囁くように俺にこう言った。
「就寝時間は10時だけど、夜はこれからが本番だよ」





「就寝時間は10時だけど、夜はこれからが本番だよ」
そう言ったあの人に連れられ、俺はこっそり部屋を抜け出した。
散らかっている荷物に足をぶつけ、落ちていた『裏・修学旅行のしおり』を踏み危うく足を滑らせそうになる俺。
就寝時間を過ぎてから部屋を出ることは許されていないので、慎重に、慎重に・・・・・
足音を忍ばせて歩いているうちに、人影が見えてきた。




―― #2 Ghost Ghost...――




電気がついていないまっ暗な廊下に目が慣れてきた俺は、それが誰かを確認することがdけいた。
あいつ、それに花鳥風月の連中が2人。あとは、同じクラスの友人が2人。隣のクラスの男子生徒が2人。
「それじゃあ、修学旅行の夜恒例の"肝試し"を始めようか」
耳をすまさないと聞こえないような小さい声で、あの人が言った。
肝試し――
まさに修学旅行の恒例行事と言ってもいい。
最近の修学旅行は設備の整ったホテルに泊まる学校も多いらしいが、やはり肝試しをするにはこんな古い旅館がしっくりくるというものだろう。
「まずは、僕のこんな提案に集まってくれた君達8人に感謝したい。ペアは元々組んで貰っていると思う。ペア同士で手を繋いでほしい。それでは、ルールを説明しよう。」
同じクラスの友人一人と手を繋ぐ俺。
あいつも他の友人と、花鳥風月の2人、隣のクラスの人たち2人でペアが4組できた。
「2人1組で1チーム。それが4チーム参加してこの肝試しを行う。それぞれのチームに1ルートずつ、僕がルートを決めてある。難易度は全て同じにしてあるから、安心したまえ。ルートについては、この紙を見て欲しい」
あの人は、プリントアウトされた小さな紙を1人1枚ずつ手渡した資料参照)
「担当経路は、1班が経路1、2班が経路2、というようになっている。班番号はあらかじめ決めて置いたはずだ」
俺の班は、1班。たしかあいつの班は4班、花鳥風月の奴らが3班だったはずだ。
「各班には旅館内にあらかじめ置いてある"お札"を回収し、このスタート地点まで戻ってきて貰う。経路はさっきの紙に書いてあるものを使わなければ、失格とする。お札は名詞サイズの紙で、それぞれ『1班』『2班』等と書いてある。ちなみにお札がある場所の目安を紙に記して置いたので見てくれたまえ」
たしかに、それぞれの経路に丸印があり、凡例には『●…おふだ』と書いてある。
「おい」
と手を挙げたあいつにあの人は
「何かな?」
「これ、窓の外に出る経路があるけど、これは・・・・・」
「間違いではないよ。その通り、窓から外に出て、外の庭を歩いて貰う。足が汚れるのは我慢してほしい。それくらいのゲーム性はないとね」
「成る程」
納得したあいつを見て、あの人は満足げに頷く。
「このゲーム、飽くまでゴールが目的だが、一番初めにお札を回収、スタート地点まで戻ってきたチームには――」
あの人がポケットから紙を取り出す。
「永遠の名誉と、全国CDショップで使えるCD券5000円分を1人1枚贈呈しよう」
ほぉ、と漏れるため息。
「ちなみに先生達に見つかったチームは自動敗退。そうそう、それぞれの場所には罠が仕掛けてあるから、気を付けてね」
不適に笑うあの人。そして、こう続ける。
「それと、この旅館に伝わる怪談、覚えてるよね?」
旅館についた時、初老の女将さんが話してくれた話だ。
たしか、掛け軸の女の人の口から血が流れるとか、人形の髪の毛が伸びるとか――
「ルール説明は以上だ。幽霊に食べられないように気を付けてね。それじゃあ、肝試し開始。」
それぞれのチームがそれぞれの道へ歩き出す。
俺のチームも出発しようとすると、俺の肩を叩いたあの人が俺とチームメイトの友人に
「お札を探し疲れたら、ジュースでも飲んで休憩するといいよ」
と耳打ちした。
何を意味しているのか分からなかった俺達は首を傾げながら、出発した。


「さて、と・・・・・」
全員の出発を見送った僕は、最初の班が戻ってくるまで自分の部屋に戻ることにする。
このゲーム、1経路につきクリアするのに最低15分はかかる。
いつまでも廊下をうろつくのは危険きわまりない。主催者は影で選手を操るものだ。
この時間、先生達が見回りをする確立はきわめて低い。するとすれば、深夜1時ころ。ちょうどそのころが、生徒達が起き出す時間だからだ。
――と、後ろから足音。
とっさに違う部屋に逃げ込む僕。
・・・・・足音が遠ざかっていく。こっそりと見ると、どうやら先生の見回りだったようだ。
「なんだぁ?」
その部屋で寝ていた奴らが目を覚ましてしまったようだ。
「起こしてごめん」
僕はそう言うと、すぐにその部屋を出る。
おかしい。この時間、先生達が見回りをするとは思えない。しかも心なしか、僕たちが集合場所にしていた場所にピンポイントに懐中電灯をあて、何かを探しているように見えた。
計画はバレるはずがない。と、なると、今のは偶然なのだろうか?
僕は先生方の動きを不審に思いながらも、自分の部屋へと息を殺しながら戻った。


「さて、俺達2班は一番簡単そうなコースだ」
このゲームに参加したのは、ただ単に修学旅行を楽しみたいという意志からだった俺。
だが、目的は商品のCD券へと変わりつつあった。
生徒主催、教師には内緒の企画にしては賞品が豪華だ。
そろそろと二つ目の角を曲がったところで、床になにかが落ちているのを見つけた。暗闇と少々の恐怖のせいか、目の前が青白く見える。
「これは・・・・・」
拾い上げると、そこには二班と達筆な字で書かれていた。
「よし、見つけた。なんだ、簡単じゃないか」
俺はもう一人のチームメイトに小声で言う。そいつはにやっとして頷いた。
が、すぐにその顔が真っ青になった。俺の後ろにある何かを指さしている。
「ん?どうしたんだよ・・・・・」
そう言って振り向いた俺はぎょっとした。
後ろにあった着物の女の人が書かれた掛け軸。旅館に到着した時には、ただそれだけの絵だったはずだ。
だが、今は違う。その口からは青白く光る何かが垂れていた。
「こ、これってもしかして、あ、あの、女将さんが言ってた・・・・・・」
そこまで言って目をそらした俺だが、その下に置いてある人形を見てさらに怯えることになってしまう。
その人形の髪の毛は、異常なまでに伸びていた。おかっぱ頭の日本人形だったはずなのに、今、俺の目の前にあるものは、身体のほとんどが髪の毛で見えないくらいまでの人形になっているのだ。
「ね、寝ぼけてる、んじゃ、ない、よな・・・・・?」
そこまでが限界だった。俺達は後ずさりしてその場を離れようとした。が、何かに躓いて転んでしまう。
ドシーン!
と音をたて、見事にひっくりかえった俺達は、数分後に駆けつけてきた先生達に見つかって、ゲームオーバーになってしまったのである。


――4班。
――あの人、いったい何者なんだ?昼食の時は、あいつとこそこそやってたけど。
少し前にあったハピマテ祭りに親友の誘いで参加した俺。最初のころは揉めてしまったのだが、結局2桁の数のCDを買ってしまった。
その親友が、修学旅行の自主研修で何かやらかしているようだ。まぁ、教師が気づいていないみたいだから一向に構わないのだけれど。
俺は文化祭でバンドを一緒に組んだりして、あの人のことはそれなりに知っているつもりだ。
あの人が、簡単なゲームを始めるはずがない。
俺は一緒にチームを組んでいる友達にその事を伝え、慎重に慎重に札を探すことにする。
面白くて盛り上がることが大好きな俺だが、このゲームは静かすぎるぞ。
廊下には、ござのようなものが敷いてあったりした。俺はその上を歩く時も、慎重に、と自分に言い聞かせ、それをいちいちめくってみたりしていた。
案の定、その下にはブーブークッションや、滑って転ぶように仕掛けてあるビー玉などがしかけてあった。それらを順調にクリアする俺達。
そして、先生の部屋の前の廊下にお札が落ちていた。
周りを気にしながらそれを披露。札には四班、と筆で書かれていた。
――これか・・・・・
先生の部屋の前なので迂闊に声を出すこともできない。だが、俺は思った。簡単すぎる、と。
たしかにお札はもう一枚残っている。だが、こんなものなのだろうか。あの人のゲームが?
そう思ってお札をひっくり返すとそこには一枚の付箋が貼ってあった。
何かと思って見ると、そこには細いボールペンのようなもので
  "図書館探検部の歌 2番2フレーズ目"
――これが、なんなんだろう?
俺はそのCDを持っている。歌詞も知っている。だが、俺は何を意味しているのか、まったく分からなかった。あの人が間違ってつけてしまったのだろうか?
不思議に思いながらもお札とその付箋をポケットにしまい、元きた道を少し早足で引き返し始める。
俺達の班は、取る札がもう一枚残っているのだ。


――3班。
俺のチームのもう一人の友達とは仲良しで、文化祭では『花鳥風月』という名前でバンドを組んだ。だけど、このゲームの主催者であるあの人が所属したバンドに負けてしまった。
まぁ、今はそんなことはいい。ゲームに集中しよう。
俺達は順調に進み、窓から外に抜け出す一歩手前まできていた。
外はコンクリートになっており、足に泥がつくようなことはないが、それでも少しはばかられる。
しょうがない、と思って窓をそっと開けると、チームメイトが俺の肩を叩いた。
俺が振り向くと、そいつは側にあった二階へと向かう階段の方を指さしている。
目のいい俺は、目を細めることもなくその上を見た。階段を上った先に、白い紙が貼ってあるのが見える。そこには三班、と太い字で書かれているようだった。
「ここを上らなきゃいけないのか・・・・・」
俺は呟いた。そいつも声を潜めて、こう言う。
「どうする?・・・・・二階では女子が寝てるんだぜ?」
そう、一階は男子、二階は女子、と割り振られており、当然ながら男子が二階に上がることは、厳禁とされている。
今は夜。女子も外を歩いていることはないだろう。が、必ずしもいない、とも言い切れない。
階段近くの廊下を、女子が歩いていたら俺達は色々な意味でアウトになってしまう。
「こりゃ運ゲーだな・・・・・。もう、やってみようぜ。他のチームには、負けたくない」
俺の本心だった。チームメイトの奴も頷いてくれた。流石、話が分かる。
そーっと、そーっと階段を上る。物音を立てないように。いつかテレビで見た忍者の歩き方を真似してみたりする。
そして、いよいよ上に到達しようとしていた。やった、そう思った。
が、
「・・・・・なにしてるの?」
俺はびくっとして、顔をあげると、そこにはパジャマを着た女子が2人立っていた。
隣のクラスの委員長。もう一人は俺のクラスの子だ。
二人とも、俺達『花鳥風月』を負かしたバンド、『MATERIALS』のメンバーだったはずだ。
「なにしてるの?」
委員長が、もう一度訪ねた。その目は不審者を見る目つきだ。その後ろにおどおどともう一人の子が隠れている。
「・・・・・見逃してくれないか?」
渾身の願いだった。だが、委員長は
「嫌よ、この変態。」
とその頼みを断る。
「いや、これには海よりも深い訳があるんだって――。そうだ、そこに貼って札取ってくれ。そしたすぐに戻るから――」
「階段の下に落としてほしいの?」
言葉から殺気を感じる。これはまずい。
が、その後ろにいた子が、ふと気が付いたように
「そのお札、私知ってる――」
と囁いた。
「・・・・・え?」
委員長の疑問符に、
「昼間、私のクラスの、あの人に『このお札を二階へ向かう階段のところにセロハンテープで貼って置いてくれないかな?』って言われて、それで私が貼り付けたんだけど――」
流石のあの人でも女子の階に侵入することはできなかったらしい。
「こ、このお札なんなの?」
そう問われた俺は、ゲームの大まかな内容を説明し、その後に
「――そういうわけで、そのお札を取ろうとここに来たんだ。嫌らしい目的じゃないって」
と弁解の言葉を付け加える。
「・・・・・」
委員長は無言のまま、そのお札を引っ剥がすと俺にお札を手渡してくれた。
「ありがとう、恩に着るよ」
俺はそう言う。
「ごめんなさい、私、変なところにお札貼っちゃったみたいで・・・・・」
と謝られるが、
「いいんだよ。ゲームだから、難しい方が面白い」
と答える。こういう受け答えは慣れだと思う。
そして、階段を降りようとした俺達に委員長は手を腰にあてながら
「あんた達のこと完全に信用したわけじゃないけど、まぁ、今回は許してあげる」
と言い、心なしか顔を赤くしていたもう一人の子を引き連れてさっさと自分の部屋へ戻っていった。
階段を降りた俺は、いそいで窓の外に出る。思わぬロスタイムを取られてしまった。
旅館の外を歩く俺達。もう一人のチームメイトが、唐突に
「まいったな・・・・・、あの委員長に見つかっちまったか・・・・・」
とつぶやき、頭をぽりぽりと掻く。その顔は月明かりだけが照らす暗闇の中でも分かるくらい赤い。
「お前、もしかしてあの委員長に惚れてんのか?・・・・・もう彼氏持ちだぞ?」
俺がそう尋ねるとそいつは
「知ってるよ。でも、まぁ、何も訊かないでくれよ」
とだけ言って、黙ってしまった。
そういえば、委員長達に見つかったとき、こいつ、何も喋らなかったっけ。
修学旅行の恒例行事といえば、"好きな人晒し大会"か・・・・・
俺はそう思い、苦笑すると、その先を急いだ。


――1班。
――あいつや、花鳥風月の連中はどこまで進んだんだろうか。
俺はそう思いつつも、旅館の入り口からそっと外に出た。ペースはなかなか順調だ。
地図によると旅館の外にお札はあるらしい。
外は静かだった。しかし、月明かりもあり外においてある自動販売機のライトもテラされているのでまっ暗というわけではない。お札は探しやすいはずだった。
――が、お札は見つからなかった。
木の陰などを探すが、どこにもない。そんなに難しい場所に隠してあるはずはないのに・・・・・
俺はそう思いながら焦った。一緒のチームの友達も必死で探していた。
あまり長い間外にいるのはよくない。見つかってしまう可能性もある。
――と、そこで俺は思いだした。
『お札を探し疲れたら、ジュースでも飲んで休憩するといいよ』と、いうあの人の言葉。
俺ははっとして、自動販売機の取り出し口に手を突っ込んだ。
案の定、その中には何かの缶が入っていた。取り出してみると、それはおでん缶
ただし、中身は入っておらず、代わりに一枚の紙が入っている。
そこには一班と達筆な毛筆で書かれていた。
昼間にあの人がおでん缶を食べ、中身を洗っていたのはこのためだったのか。
俺はそう思ってから、友達にお札をみせ、地図通りのルートでスタート地点に戻ろうとした。
地図にある窓から旅館内に入ろうとすると、懐中電灯の光が見えた。
いそいで身体をかくし、そーっと見てみると、2班の連中が先生に見つかって叱られていた。
そして、先生達がいなくなったのを確認すると、俺達は窓から中へと侵入した。
2班の連中の話を聞いていると『掛け軸から血が』『髪の毛が伸びた』なんていう言葉が聞かれた。
俺は興味本位で友達を引き連れ、旅館についた時に女将さんが言っていた『口から血の流れる掛け軸』が置いてある場所まで行ってみた。
そして、驚いた。たしかに掛け軸の女性の口から青白い血が流れている・・・・・
さらには、髪の毛の伸びる人形、という現象も実際に起こっているのである。
――あれ?
俺はその場をじっとみて、すぐにひらめいた。
少し怯えている様子の友達に、俺は笑って小声で話し始めた。
「これだよ」
廊下の床に目立たないように細い蛍光灯がある。
ただの蛍光灯ではない。青白く、ただし、あまり目立たなく光っている。
「ブラックライト、ブラックライトブルー蛍光ランプだよ。ブラックライトには蛍光物質を光らせる性質があるんだ。きっと、この掛け軸には蛍光塗料で流れる血が描かれていたんだと思う。それで普段は見えないけど、ブラックライトを当てると見えるんだ」
そのブラックライトを調べる俺。どうやら今日取り付けられたようだ。簡易取り付け式になっている。
「多分、あの人がしかけた罠だと思う。きっとこの人形の方も何かトリックがあるんだよ」
俺の解説に関心したような友達は
「なるほど〜」
と頷いた。
「それじゃあ、先を急ごう」
俺はそう言って、スタート地点を目指し、そーっと歩き出した。


――4班。
――何処にもない・・・・・
二枚目のお札を探していた俺だったが、なかなか見つからない。
おかしいとは思っていたんだ。二枚目のお札がある、と地図に記された場所まで来るのに、罠を踏むことがなかった。
そして、ここまできて行き詰まってしまったのである。
そこにあるのは、古びた黒電話だけ。もちろんその電話や台の下も見てみたが、何もなかった。
あまり物音を立てることができない。なにせ、ここは先生の部屋、しかもその扉の目の前なのだから。
――と、するとやっぱり・・・・・
俺はさっきの付箋をポケットから取り出した。
  "図書館探検部の歌 2番2フレーズ目"
やはり、これがヒントなのだろう。
脳内で図書館探検部の歌を再生する俺。2番っていうと、たしか――
そこまで考えて、俺はひらめいた。思わず「分かった!」と叫ぶところだった。
俺は黒電話の方へ歩く。「そこはもう見ただろ」と言いたげなチームメイトの視線を避け、その電話の下においてある、電話帳と取り出した。
電話帳の裏側も勿論調べた。だけど、その電話帳の中身までは調べていなかった。
パラパラとめくると、やはり、そこに二枚目のお札が隠されていた。
"図書館探検部の歌 2番2フレーズ目"、"細い栞を挟んで"か。たしかにお札はしおりのように電話帳に挟んであったわけである。手の込んだことをやってくれるじゃないか。
俺はそのお札を持って、早歩きでスタート地点に戻った――


――1班。
急いで戻ってきた俺。
スタート地点には、あの人が静かに立っていた。
無言でお札をあの人に見せる俺。
だが、あの人は笑って、こう囁いた。
「・・・・・惜しかったね」
陰の方から4班のあいつ達がいた。
「タッチの差だったよ。でも、1位は4班だ」
それから1〜2分後、3班の花鳥風月の連中も到着。既に着いていた俺達を見て、がっくりと肩を落とした。
「2班は先生方に見つかってしまったようだ。4班中3班生存か。難易度からしてかなり良い結果だよ。おめでとう。お化けに食べられなかったんだね」
そう言って無邪気に笑うあの人。
俺達6人はお互いに握手をしてゲーム終了。あいつ達の班には賞品のCD券が配布された。
そして解散。各々の部屋へと戻っていく。
部屋に戻ろうとするあの人を引き止め、俺は血が流れる掛け軸についての謎解きを披露した。
そして、
「あの髪が伸びた人形も仕掛けてあったんでしょ?どうやったの?」
と尋ねる。あの人形だけはどうしてもトリックが分からなかった。
が、あの人は予想外の反応をした。
「え?僕がしかけたのは掛け軸だけだよ。・・・・・いや、本当に」
疑いの目で見る俺の視線に気づいたのか、最後に
「嘘じゃないって。僕もそこまで人が悪くないよ」
と付け加える。この様子、どうやら本当に何もしらないらしい。
「じゃ、じゃああの人形は――」





「学級委員、点呼をしろ!」
先生の声が新幹線内で響く。あの娘が、通路を歩いて人数を確認する。
修学旅行も終わり、今は新幹線に乗って地元に帰ろうとしているところだ。
思えば、長い旅行だった。あの人の計画に付き合っていたから、大分疲れた感じがする。
けど、楽しかったことは確かだ。あの人の計画がなければ、この楽しみも半減していたかもしれない。
新幹線の座席についているクラスメイト達は疲れ切っている様子だった。今にも寝そうな友達もいる。
点呼が終わり、新幹線がゆっくりと動き出したのを確認し、俺は静かに座席を立つと、できるだけ何気ない様子で自分達の第6車両を出て、待ち合わせ場所の第3車両へと向かった。





―― #3 MAXやまびこ229号 第7車両戦線に異状あり ――





第3車両、正確に言うと第3車両と第4車両を繋ぐ連結部分に到着すると、そこには9人の生徒が到着していた。
その9人の中の一人、あの人が俺にA4版のプリントを手渡した。
そこの見出しには、『大伝言ゲーム大会』と書かれていた。
これが、あの人が用意した、最後の"計画"である。『裏・修学旅行のしおり』でゲーム内容は熟知していた俺だが、他の参加者には知らされていないらしく、そのプリントにはルールが事細かに記されていた。
「それでは、ルールを説明しよう」
あの人が口を開いた。俺を含め、集まっていた他の9人はあの日との方を一斉に見る。
「このゲームは僕が決めた"単語"を伝える、単純な伝言ゲームだ。"文章"ではなく飽くまで"単語"。覚えるのは簡単だ。しかし、伝えるのにゲーム性を要する。」
プリントに書いてある図を指さすあの人。
「スタート地点はこの新幹線、MAXやまびこ229号の第1車両。ゴールは第10車両とする。各クラスから3名を選出する。参加者は3クラスあるので合計9名になる」
真剣に聞く俺達。
「各車両の人物配置はこちらで決めさせて貰う。1人目が第1車両、2人目が第3車両、3人目、アンカーが第7車両で自分のクラスの人が伝えに来るのを待つ、ということとする。これの変更は不可能だ。いいね?」
数人が無言のまま頷く。
「第10車両では僕が待っている。各クラス3人目の選手のうち、一番はじめに僕まで"単語"を伝言したクラスの優勝とする。伝言方法は耳打ちをしても、メモ紙を回しても構わない。但し――」
微笑むあの人。
「単語の盗み聞きをすることを可能とする。例えばメモ回しをしている時、そのメモ用紙を他のクラスの参加者が奪って、そのままゲームを続行することも可能、ということだ。耳打ちの場合でも、よそから聞き耳をたてて、"単語"を盗み聞きし、自分のクラスの前走者が自分に伝える前に次走者に"単語"を伝えるのも可とする」
つまり、必ずしも自分のクラスの人から"単語"を聞かなくてもいいということか。
「"単語"は3クラス全てが同じ物を回すので安心するように。各々のクラスでその"単語"が違うわけではない。それではそろそろ、ゲームをスタートしようか」
そう言ってからあの人はふと思い出したように、
「そうそう」
と切り出した。
「このゲーム、伝言の途中で先生に見つかったらその時点でそのクラスはゲームオーバーだ。先生とはなるべく接触しないのが良策だと思うよ」
そしてあの人は指をパチンと鳴らした。
「それでは、ゲームスタートだ。"単語"は、第1車両の何処かに隠した。探して見つけた者からゲームスタートだ。1人目の人は第1車両へ。2人目はこのままここで待機。3人目は第7車両に向かうように!」
一斉に第一走者が第1車両へ向かった。
俺のB組の第一走者はあの娘。俺は第二走者で、第三走者はあいつ、という構成になっている。これはあの人が推薦したもので、同じクラスの友人も文句は言わなかった。
A組の参加者は三人とも花鳥風月のメンバー。おそらくこれもあの人の推薦だろう。
C組の参加者でなじみがあるのは、第三走者の彼女だけ。第一走者、第二走者は陸上部の男子であり、足が速いことを理由に選ばれたらしい。
第7車両へと向かうあいつと彼女。そして、あの人も第10車両へ向かおうとする。
あの人は俺に
「がんばれ。期待してるよ」
と言うと肩を叩いた。
俺は
「このゲーム、必ず成功させないといけないんだ」
とだけ答える。あの人は
「そう・・・・・」
と言うと第3車両を後にした。


B組で委員長をやっている私だけど、このゲームに参加したのはただ、中学校生活の思いでを作りたい、という理由からだった。
規則にしばられてばかりの旅行ではつまらない。新幹線内で他の客に迷惑をかけるようなゲームは禁止されているけど、あえてそれを破るのが楽しい。そんな年頃なのだろう。
さて、第一走者の私は先頭車両にある"単語"を探さないと。
A組の花鳥風月、C組の陸上部男子よりもさきに見つける必要がある。
――あの人のことだ、最初は単純な場所に隠してあるだろう
私はそう考えた。
客席の下とか、旅行客の荷物とか、そんな場所にはいくらあの人でも隠せない。下手手すれば新幹線の利用客から私達の先生宛に伝達がまわってしまう。
他の利用客が見ても迷惑に思わず見逃してしまうような場所――
私はそう思って探す。そして、見つけた。
第一車両の隅の方にぽつんとある公衆電話。そのドアを開けたところに名刺サイズの紙が貼ってある。
そういえば一日目の夜はこんな紙のせいで大変だったっけ。
旅行のことを思い出し、苦笑しながら私は、そこに書いてある四文字の単語をしっかりと覚え、第3車両へと急ぐ。
他のクラスの第一走者も私の動きに気づいたようで、私がいた周辺を重点的に探し始める。
このままだと時間の問題だ。それに、問題はどうやって他のクラスの第二走者にバレないように回すか、だ。
そして私は一つのアイディアを思いついた。成功するかどうかは微妙だし、少々気が引けるが、勝つためだ。しょうがない。私はポケットからメモ用紙を取り出すと、そこにペンを滑らせた――


第3車両で待っていた俺は、A組の花鳥風月の連中が別れ際に話していたことを思い出していた。
――一番初めに戻ってきた第一走者がA組でなければ、そいつからどんな手段を使ってでも、"単語"を盗め。
花鳥風月の奴らは、だれからも聞こえるようなひそひそ話でそう言っていた。
初めにあの娘が戻ってきてしまったら、もしかしてその場で突き飛ばしてでも"単語"を盗む気かもしれない。
あの娘だって女の子だ。男子を相手にしたら、それを防ぐことは叶わないだろう。
そんな俺の心配をよそに、一番初めに戻ってきたのは、あの娘だった。
A組の第二走者は、気のせいかもしれないが少しばつの悪いような顔をした。
あの娘は俺の肩をつかんで第3車両のはじの方へと引っ張った。
A組の第二走者も何気ない様子で近づいてくる。この距離で耳打ちをしたら盗み聞きされるだろうし、メモ渡しでも奪い取られてしまうかもしれない。俺は腕力に自信はない。
が、あの娘は無言のまま俺の方を向くと、信じられない行動に出た。
あの娘は制服のスカートの裾を持つと、自分でそれをめくり上げた。
俺は一瞬にして仰天した。自分の顔がみるみる赤くなるのが分かる。
思わず目をそらした俺だが、あの娘に睨まれ恐る恐る目線を下におろすと、あの娘のスカートの裏には、一枚のメモ用紙が貼ってあった。そして、(当たり前かもしれないが)あの娘はスカートの下に学校指定のハーフパンツを履いていた。
そこには、四文字の単語が書いてある。これが、ゲームの"単語"か?
あの娘の後ろを見ると、他のクラスの第二走者も思わず目をそらしてしまったようだ。
なるほど、これがあの娘なりの盗み見られれない伝達方法ってわけか。でも、これは流石にどうかと思うぞ。
俺がチラチラとあの娘の様子を凝視していると、あの娘はさっさとスカートを元に戻し、パッパと裾を叩くと、
「ちょっと、いつまで見てるの?早く次の車両に行きなさい!」
と言った。俺ははっとして
「あ、あぁ、うん」
と言って、歩き出した。あの状況で男子にそんなことを言うのは一種の拷問じゃないのか?あの人みたいな奴だったら、何も言わないかもしれないが。
頭の片隅であれこれ妄想をして性欲をもてあまし・・・・・いや、顔を赤らめつつ、第4車両、第5車両と早歩きで通過。
全力疾走をしてしまうと、他の乗客にみつかり先生へ伝達、そして俺達のクラスがゲームオーバーになってしまいかねない。


第3車両で単語を伝達した私は、ふぅ、とため息をついた。
とんだ方法で伝えたものだ。自分でもそう思う。
周りに他の乗客がまばらにしかおらず、全員がそっぽを向いていたことがせめてもの救いかもしれない。しかし、これが『勝つ』ということだ。
顔を赤くし、私の方をちらちら見てくるA組の花鳥風月の一員を軽く睨むと、私は壁にもたれかかった。
1〜2分すると、A組、C組の第一走者がやってきた。二人とも"単語"を発見したらしい。
それぞれが第二走者に伝えると、第二走者はほぼ同時に走り出した。大分ハイペースだ。
――そんなに急いだら、見つかるでしょうに・・・・・
私は心の中でそう呟くと、再びため息をついた。


――大丈夫、まだ間に合う。
A組の第二走者である俺はできるだけ急いで走っていた。
隣のクラスの委員長の行動には肝を潰した。そこで"単語"を盗み見られなかったのは一生の不覚である。
B組の第二走者は走っていなかった。時折乗客にぶつかりそうになるがしょうがない。
――と、誰かにぶつかってしまった。
俺は尻餅をつきながら、
「すみません」
と誤り、立ち上がってからその相手の顔を見てぎょっとした。
俺のクラスの担任だった。
担任は
「なに走ってるんだ?良からぬ事をやっていたのではあるまいな・・・・・」
と言ってにやっと笑うと、
「さぁ、座席へ戻るぞ」
と俺を引っ張った。
――先生に見つかったらゲームオーバー。・・・・・マジかよ。
先生をうまくかわしたC組の第二走者を横目で見ながら、俺は頭を抱えた。


第10車両へ向かい、ゴールする者を待とうとしていた僕。
途中で通り過ぎた第7車両に些かの不審感を覚えた。
――先生が多すぎる。
第7車両は僕たちの学校が貸し切っているわけではない、一般車両だ。
それなのに、何故こんなに先生が多いんだ?
帰りの新幹線では先生達も自分の席で読書かなにかをするものだろう、と予想していた僕は意表を突かれた。
第7車両はアンカーが第二走者を待つ場所と定められている。各クラスのアンカーも第7車両に到着したがかなりとまどった様子だった。
先生に見つかったらアウト、というルールがあるからだ。この状態で先生に見つからずに伝言、というのはかなり厳しいのではないだろうか。
見つかったら、というのは勿論姿を見られたら、という意味ではなく、話しかけれられたり、ゲームの存在を感づかれたりした場合だ。
そうは言っても、この状況でメモを渡したり、耳打ちしたりしたら、先生に感づかれるのは必至・・・・・
様子を見ていると、先生達はきょろきょろ周りをみて、見張りをしているように見える。
だが、何故だ?ゲームの情報が漏れたのか?いや、そんなはずはない。このゲームのルールは始まる直前まで他人には黙っていたはずだ。先生にチクれる余裕などない。
だったらどうして――
そこまで考えて、僕の脳裏にひらめくものがあった。
――もしかして・・・・・
そこまで考えて、僕は第10車両へと向かう、という自分の使命を思い出し、先を急いだ。
その途中、第7車両で見張り(のような行動)をしていた学年主任の先生に、不敵に微笑まれた。
なぜ、学年主任の先生が僕のことを止めないのか。それが、もう僕には分かっていた。


第6車両をトップで通過しようとした俺に、同じB組の友達が
「第7車両に先生達が行ったぞ。気を付けろ」
という情報をくれた。
俺は無言のまま頷く。やっぱり駄目か。これは、まずい。
しかし、俺は、アンカーのあいつに"単語"を伝えなければならない。俺の責任でもある。
意を決して第7車両のドアを開けた。
そこには、あいつ、彼女、花鳥風月のメンバー、そして、数人の先生がいた。
乗客は一人もいない。空の座席が並んでいた。
俺は、手に握った"単語"書いてあるメモを握りしめた。
あいつにメモを渡せない。俺が第7車両に入った瞬間、あいつへのマークが厳しくなった。
C組の奴がもうすぐ来てしまう。C組の第二走者が入ってきたら、それと同時に彼女へのマークが厳しくなることを、俺は知っていた。
先生達は俺の方をみてにやりと笑った。あいつはその後ろで困ったような表情を見せる。
俺はあいつの方に駆け寄った。先生達は、黙ったままだ。
そして、俺は、言った。
「何をやっているんですか?先生。」
あいつは驚く。あいつだけじゃない、彼女も、他の先生も、話しかけられた副主任の先生でさえ驚きを隠せない様子だった。
「なにって・・・・・」
そこで副主任は言葉を詰まらせる。俺は、それを見て見下したような笑いを浮かべると、今度はあいつに向かって
「ほら、座席に戻ろうぜ」
と言った。あいつはぽかーんと口を開けるが、少し、少しだけ考えて、頷くと
「OK」
と言って、俺についてきた。
俺は唖然としている彼女の横を通り過ぎ、第6車両の自分の座席へと戻る。
俺は、自分でゲームオーバーを選んだ。B組、ゲームオーバー。


C組のアンカーであった私は、彼の行動に驚いた。
B組の第二走者だった彼は、自ら先生に話しかけ、ゲームオーバーを選んだ。
何故か。私にはいくら考えても分からない。
ただその状況を見守ることしかできなかった。
彼は負けず嫌いだ。いくら先生のマークが厳しいからって、ゲームを自分から放棄するような人ではない。それは、私が誰よりも知っているつもりでいたことだった。
彼はB組のアンカーである彼の親友を引き連れて、自分の車両へと戻ろうとした。
そして、私の隣を通り過ぎようとした時――
彼は、私の手をぎゅっと握った。
久しぶりに彼に手を握られたような気がする。私は、突然の出来事に驚き、顔を赤らめた。
彼がその手を離すと、私の手には一枚のメモが握られていた。
彼は、誰にも、私にも分からないようにメモを私に手渡したのだ。
先生に見られないようにそのメモを開くと、そこには四文字の単語が書かれていた。
違うクラスの彼が私に"単語"を教えたのだ。何故なのか、私には分からなかった。
――でも、彼は意味もなくそんなことをする人じゃない。
私は、第10車両へと歩き出した。先生に声を掛けられそうになったが、それより先に
「すみません、ちょっと・・・・・お手洗いに・・・・・」
と嘘をついた。
第8車両への扉をあけ、第10車両へと走る。これより先に先生はいないと思ったからだ。
そして、第10車両にいたあの人に、私はその四文字の"単語"を伝えた。
「シアワセ」
と。C組、ゲームクリア――



第6車両にあいつを引き連れ戻った俺は、自分の座席に無言でついた。
――これでこのゲームが成功すれば、うん、良かったんだ。
座った俺に、あいつは
「困った奴だぜ。友達より女かよ」
と話しかけてきた。
――まいったな
俺は、弁解の言葉を発しようと、口をあけたが、その必要はなかったようだ。
「・・・・・なーんてな」
あいつがそう言って笑った。
「お前のことだ、考えがあってやったんだろ?ま、あの時の俺に伝言しろっつーのも無理な話だったからな。気にするんじゃねーぞ」
そのあいつの言葉を聞いて、俺は心の底からほっとした。
「悪い。お前の言う通り、ちょっと訳有りでな。すまなかった」
そういう俺の頭をくしゃくしゃとかき回すと、あいつは俺の隣の席に座った。
新幹線は、凄い速さで進んでいく――




地元の駅につき、その場で解散となった。
俺は市電に乗って家まで帰ろうとする。一緒の駅へ向かう人はいないようだったので、一人で電車に乗ろうとすると、あの人が入ってきた。
「・・・・・あれ、俺と同じ方向だっけ?」
俺があの人に尋ねると、あの人は
「違うけど、君と話がしたかったから」
とあの人は答え、俺の隣に座った。電車はがらがらだ。
電車は新幹線と違って、ゆっくりと走り出した。
それと同時に、あの人が口を開く。
「・・・・・君、何か僕に隠しているよね?」
「・・・・・」
俺は黙りっぱなしだ。
そんな俺にお構いなしの様子で、あの人は続ける。
「おかしいと思ったんだ。秋葉原の時はうまく先生方を出し抜いたのに、肝試しの時は先生達が見張っている。まるで、僕たちの動きを知っているかのようにね」
あの人は眼鏡を掛け直しながら、続ける。
「そして、帰りの伝言ゲームの時は、完全に内容がバレていた。動きをトレースされているようだった。それが、何故だか分かるかい?」
自分の顔がうつむいていくのが分かる。
何も答えない俺を見かねたあの人は、自分で答えを言った。
「君にはその理由が分かったはずだ。」
と。その通りだ。先生達が最後の計画を知っていた理由を、俺は知っている。
「先生達に計画をバラした犯人がいるはずなんだ」
あの人は続ける。
「この旅行内のでいろいろなことをした。僕は、その計画を外部には一切漏らしていないつもりだった。だけど、その計画をあらかじめ把握していた人物が、僕以外にもう一人いたんだ。それが、君だよ」
あの人はリュックから『裏・修学旅行のしおり』を取り出した。今となっては隠す必要もない。
「君は、計画を先生方にバラしたんだ。犯人は君だね」
「・・・・・・その通りだよ」
俺は、初めて口を開いた。
「正確に言えば、故意ではなかったのだろうから、バラしてしまった、という方が正しいかな」
再び黙った俺にあの人は続ける。
「君は、一日目の夜、肝試しが始まる前に、先生に『裏・修学旅行のしおり』を見られてしまった。全員が寝ている間に先生方は荷物検査をしたんだ。修学旅行の定番ともいえるね。みんな疲れ切って寝ていたから、それも可能だった。」
一日目の就寝時間は10時。一日目はなかなかハードで、俺の部屋の友達は、はしゃぎながら11時には全員寝ていた。勿論俺も。
「そして、君の荷物の中から『裏・修学旅行のしおり』を見つけた先生は、君を夜中に起こし、廊下へ呼び出すと、それについて問いつめた」
あの人は『裏・修学旅行のしおり』をぱらぱらとめくる。
「この中には計画の全てが書かれている。だけど、先生達はその時点で、本当にそれを実行するのかどうか、半信半疑だった。そこで、それに書いてある一番近い計画、『肝試し』の時に、実際にそれを実行するのか、簡単な見張りをした」
それで、先生達が出歩いていた、というわけだ。
「そこで僕が仕掛けた、血を流す掛け軸を見つけた班が先生方に見つかった。そこで先生方は確信したんだ。『あの裏しおりは本物だ』ってね」
あの人は『裏・修学旅行のしおり』の大伝言ゲームのページを開いた。
「そして、『裏・修学旅行のしおり』のしおりに書いてあった大伝言ゲームの時に僕たちを捕まえようとしたんだ。大伝言ゲームは他のゲーム以上に捕まえやすい。なんたって、第三走者の待機場所で見張りをしていればいいんだから」
確かにそうだ。アンカーの待機場所、第7車両を見張っていれば伝言のシーンを見つけることができる。
「警察は犯行を計画した段階で人を捕まえることはできない。犯行を犯した後に捕まえようとすると逮捕状が必要になって、すぐには捕まえられない。でも、一番手っ取り早く捕まえる方法がある。それは――」
言葉を切るあの人。
「現行犯逮捕。犯行を犯している最中に捕まえることだよ」
「・・・・・いつ、それに気づいたの?」
俺は、あの人の尋ねた。
「肝試しの夜、君の所に行った時に不審には思ったんだ。『裏・修学旅行のしおり』がバッグの外に出ていた。隠している必要があるものをそんな簡単に放置するとは思えない。」
そういえば、『裏・修学旅行のしおり』が先生に見つかって、その後に『裏・しおり』をバッグにしまうのを忘れていた。俺もパニック状態だった。
「そして、二つ目は、君がゲームの"成功"を目指していたところかな。"勝利"ではなく。君は、自分が計画を台無しにすることを恐れた。自分のやったことに責任を感じ、"失敗"だけは避けたかったんだ。だから君は違うクラスだったC組のアンカーの子に"単語"を教え、僕のところまで持ってこさせた。」
彼女にメモを渡したのには、以前、仲良くしていた、という理由もあったけれど、あの人が言うとが第一だった。
――しばらくの沈黙。
それを破ったのは、あの人だった。
「まぁ、僕たちのことは結局見つからなかったわけだし、スリリングな旅になった。君のやったことは事故だったながらも、不都合だとは思わなかったよ」
俺は、
「ごめん、本当に。ごめん」
と謝った。旅行をあの人は誰よりも楽しみにしていた。それを台無しにしてしまいそうになった。
しかし、あの人は笑って
「いやいや、いいんだよ。PCのゲームでもイレギュラーがあった方が面白いだろ?」
と許してくれた。俺は本当に良い友達を持った、と思い心の底からほっとした。
なんだか最近、友達に助けられてばかりだ――


こうして、中学校最大の行事、修学旅行は本当の意味で終わりを迎えた。
今回の旅行は、最後の"単語"ではないが、シアワセな旅だった。
少し、スリルがありすぎたような気もしたけれど――




―― Fin...――


「・・・・・どうしたんだよ」
最初は冗談なのだと思った。
しかし、話しかけてもハピマテはぴくともしない。
「お、おい・・・・・」
ハピマテの顔に手を触れて、俺の額から一筋の汗が流れた。
「す、凄い熱だ・・・・・」
俺はどうしていいかも分からなかったが、とりあえず床で倒れているハピマテをベッドの上に寝かせて、様子を見る。
「う、うぅん・・・・・」
気を失っていたハピマテが目を覚ました。
「だ、大丈夫?」
俺は焦ってハピマテに尋ねると、ハピマテは目をこすって、辛そうに言った。
「うん、大丈夫。・・・・・っていうか前から分かってたんだ」
そう言った後に、ハピマテはせきをする。
俺は薬を飲むかと尋ねたが、ハピマテは首を横に振った。
そして、
「私のこと、もっと詳しく教えてあげるね」
と言って、話し始めた。
「私は、前からいってたように音楽なんだよ。人間じゃなくて――」


「この世界には、2つ世界があるの。1つは今あなたがいる人間の世界。そして、もう一つは『物』が存在している世界。」
ハピマテは辛そうな顔をしながらも、俺の方を向く。
「人間の世界でもよく言われているように物には気持ちがあるの。どんな物にも。だから物は大切にっていうのは正しいの。それで、基本はその二つの世界の間を行き来することは出来ないの」
でも、とハピマテは言う。
「特例があって、本当に望むものだけ『物』の世界から『人間』の世界に行くことができる。目的と、期限付きで。そして、私は自分自身を1位にするっていう目的でこっちの世界に来た。そして期限は――」



「今日の午後8時30分まで」



「私は結局自分を1位にすることはできなかった。だから、期限通り、あと一時間くらいでこの世界を去ることになるの。つまり、こっちの世界で言えば死ぬって、ことなのかも」
――期限?
俺はハピマテの顔をみて、考える。
そして、気づく。あと一時間半ほどでハピマテとお別れしなくてはいけない、と。
「私がこっちの世界に来たのは、みんなにお礼をしたかったからだよ。みんな、私を好きになってくれていた。みんな、私自信を、本当に好きになってくれてるって分かったから」
例えば、とハピマテは続ける。
「今のJpopは、歌手の名前で売れていることが多いでしょ?有名な歌手だからって売れていたり」
俺は黙って頷く。
「それは、その曲自体が好きになっているわけじゃないでしょ。うん、世間に合わせてるってことになるの」
確かにその通りなのかもしれない。
俺はそれだから今までJpopを好きになれなかったのかもしれない。
「でも、私のことを好きになってくれている人は、私自身が良いと思ってくれてた。それが素直に嬉しかった。だから、こっちの世界に来て、私が先導してハッピー☆マテリアルが1位になれば、私のことを好いていてくれた人達も喜ぶと思って――」
そこで、せき込んでから、ハピマテは熱で真っ赤になった顔に笑顔を作って言った。
「それが、私からのお礼、かな?」
俺は黙って話を聞いていた。
黙っていることしかできなかった。
「でも、結局駄目だったなぁ・・・・・」
悲しそうな顔をするハピマテに、俺は言った。
「そんなことない。」
と。
ハピマテを1位にする企画で、ハピマテのことを知ってくれた人は大勢いるだろうし、ハピマテを知っていた人も、もっともっと好きになってくれたと思う。だから――」
俺はそこで言葉を切ってから言った。
ハピマテがこっちに来てやったことは、十分お礼になってたと思うよ」
その言葉にハピマテは嬉しそうに笑った。
そして
「ありがと」
と言った。
会話をしている内にタイムリミットが迫ってきた。
7時30になった。あと、ちょうど1時間。
そんな時、ハピマテが俺に話しかけてくる。
「あの、ね」
「うん?」
俺はできるだけ優しい表情をして相づちを打つ。
「なんで私がこっちの世界に来たとき、あなたの所に来たか分かる?」
俺は少し考えてから、首を横に振った。
「あのね、私、あの時、あなたが昼の放送で初めてハピマテを聴いた時もあなたのことを見てた」
ハピマテの赤かった顔がますます赤くなる。これは熱のせいじゃない。
「そして、その時、私はあなたに一目惚れしてた」
――え?
俺は自分の耳を疑った。
まさか、そんなことって・・・・・
「それにあなたはあの時、私のことを気に入ってくれた。だから、その時決めたの。1位にするのなら、この人と一緒にやりたいって」
目を閉じるハピマテ
「私、1位になってあなたと一緒に喜びたかった。驚きたかった。笑いたかった」
その目から涙がこぼれる。
「でも、それもできなかったね」
俺も、泣きたいのを必死で堪えていた。
何をすればいいかわからなかったが、泣くことだけはしたくなかった。
「そして、あなたと一緒に生活するうちに分かった。私はやっぱりあなたのことが――」



「好きなんだって」



「・・・・・」
俺はただ黙っていた。
ハピマテは続ける。
「だから、私、この前の告白に、こう返事をします」
そして、今まで見たなかで一番良い、可愛い笑顔。
「私もあなたのことが大好き」
俺はなんと言っていいかわからなかったが、笑顔を作って言った。
「ありがとう」
と。
時間はもう残り少なくなっていた。
あと30分しかない。
「私、さっき死ぬって言ったけど、それはやっぱり違うよ。私はこっちの世界からいなくなるだけ。向こうの世界では死なない。向こうに戻るだけだから」
「それなら――」
「でも」
ハピマテは俺の言葉を途中で遮って、続けた。
「こっちの世界の人間の誰もが、私のことを忘れてしまったら、それは向こうの世界の、私にとっての『死』になっちゃうんだよ」
「・・・・・」
俺は何も言えない。
たしかに、それが死なのかもしれない。それでもう、ハピマテは終わりなのかもしれない。
「音楽はほとんどのものが最盛期をすぎると『死』んじゃうの。本当に生き残るのは、一握りだけ。」
生き残るというものは、昔から伝えられる伝説の名曲なんて呼ばれるものなのだろうか。
「だから、私もいずれは死んじゃうんだよね」
今まで涙を抑えていた俺も、限界になってきた。
必死で堪える。泣いてたまるか。ここで、泣いてたまるか
そして、沈黙。
この沈黙が、悲しい。切ない。
そんな沈黙でも、時間だけは過ぎ去っていく。
イムリミットが迫ってきた。あと10分もない。
ベッドの横に座っていた俺の手をハピマテがぎゅっと握った。
そして、涙を流しながら、俺の方を向いて笑顔をつくる。
「わ、忘れないで、私のこと・・・・・。お願い・・・・・」
ハピマテの願い。最後の、願い。
俺はそれを聞き、ハピマテにも負けない出来る限り最高の笑顔を作って答えた。
「忘れるわけないよ。だって、お前は俺にとって、最高の――」



「幸せの材料、なんだから」



その答えにハピマテ
「ありがとう」
と言った。
時間がない。3分もないだろう。
泣きはらしたハピマテを抱きかかえ、抱きしめる。
そして、その顔を自分の顔の近くに持ってくる。
ハピマテは目を閉じる。
俺は抱きかかえた腕を自分の方に持ってきた。
そして、キス――
今まで堪えていた涙があふれてくる。
どうしても、堪えられなかった。
そして、8時30分。
抱きしめていたハピマテの体から力が一気に抜けた。
俺は顔を離してハピマテを見る。
意識がない。息を、していない。
「・・・・・ハピマテ
小さな声でハピマテを呼ぶが、ハピマテは動かない。
ハピマテをベッドに寝かせ、俺は一言だけささやくように、言った。
「ありがとう。ハピマテ





次の日、目を覚ますとベッドにハピマテの姿はなかった。
俺が寝ているうちに、どこかに行ってしまったのだろうか。
そんなことは、いい。
ハピマテは生きているんだ。俺の知らない世界でずっと。
そして、俺はずっと、ずっと忘れない。
生き続けてほしい。俺が死んだ後も。
ハピマテのことを知っている人たちにも忘れないでいて欲しい。
一生、死ぬまで、記憶の中にハピマテという存在を残して置いて欲しいと思っている。
そして、ただ一つ、胸を張って言えることがある。
一緒に活動をしたクラスメイト、ネット上の仲間は、俺の幸せの材料だということ。
そして、それは俺にとって誇れる宝物だということ――




Fin



       (第百話掲載)

「よーし、次の店だ」
あいつの一言で、俺達はその店を出た。
「あと何枚くらい買うの?」
「ん、とりあえず、あるだけ」
ハピマテの質問にそう答えながら、次の店に入った。
そこには、あの人がいた。
「お、よう」
「やぁ」
あの人がハピマテを全て買い占めてしまったかと思い、ひやっとしたが、その店は大量にハピマテを入荷してくれていたようでまだ余っていた。
俺は、財布の中身の残量を確認し、一枚ずつレジに持っていく。
あの人も他の店で大分あさってきたようで、財布は軽そうだった。
「そうか、今週はポルノも一緒に出してたんだな」
あいつがそう言う。
俺は少し考えてみたが、それがどうしたのかがわからなかった。
そう尋ねると、あいつは
「いや、その、委員長が好きなんだよ、ポルノグラフィティ。」
委員長というのはあの娘のことだろう。
そういえば、そんなことを言っていたような気がする。
たしか、あの遊園地で偶然出会ってしまったときだろうか。
ライブに行くほど好きなのに、今回はそれを買わず、ハピマテを買ってくれていたのか。
俺はそう思うと、少し感動した。
他の友達も、一緒に出た曲で、好きだがハピマテのために見送ったという奴もいただろう。
と、その時、ハピマテの隣においてあった浜崎あゆみの『fairyland』を客の一人が手に取った。
「・・・・・」
その客を、あの人が無言のまま一睨みする。
客はその眼に一瞬びくっとしたが、気にせずにそれをレジまで持っていった。
「やれやれ・・・・・」
あの人が、肩を落とす。
「あんなの聴いてて、耳がおかしくなるってことがわからないのかな」
そう言うあの人を俺は笑ってみた。
その後も、何人か浜崎あゆみを買いにその店を訪れたが、そのたびにあの人の鋭い眼光に睨まれるというはめにあっていた。
そして、また客の一人が、浜崎あゆみのCDに手を伸ばした。
あの人は例によって、静かなだが、するどい眼差しでその客を睨んだ。
客は一度は浜崎あゆみを手に取ったが、すぐに棚に戻し、驚くべきことに今度はハピマテを手に持って言った。
「それはあんまり関心ならないな。店の営業妨害じゃないのかな?」
その客の顔を見上げて、俺はさらに驚くことになった。
そこに立っていたのは、幾度と無く助けてくれた国語の先生だった。
「え、あ、あれ・・・・・?」
俺は事態が分からず、きょろきょろした。
あの人も、素直に驚いている様子だった。
国語の先生はハピマテをそのままレジに持っていき、会計をすませた。
そして、ハピマテを持っていた紙袋に入れるとその中身を俺達に見せた。
その中には、大量のハピマテが入っていた。
ざっと30枚はあるだろう。
「え、あ、あの、これ・・・・・」
俺は何を尋ねて良いかわからず、ただ唖然としながらそれをぼーっとしながら見ていた。
そして、その後、先生は
「おいおい、グッジョブって言ってくれよ。これがVIPクオリティだろ?」
と笑いながら言う。
それで我に返った俺とあいつ、あの人は声を揃えて
「グッジョブです」
と言った。
それを満足げに訊いた先生は手を振ってその店を出た。
「・・・・・まさかあの先生もVIPPERで、ハピマテスレ住民だったなんてな・・・・・」
「だからいろいろ助けてくれたり協力してくれたりしたんだね」
「ともかく、ああいう凄い見方が増えるのはありがたいことだと思うよ」
俺達はそんな話をしながら、棚に残っていたハピマテを全て購入した。
そして、その店を制覇すると、その日は各々の家に戻った。


――日曜日。
CDを購入して、オリコンに加算される最後の日。
俺は、CDを買ってきてから、家に戻った。
机の上には山のようにハピマテが重ねてある。
結局、50枚ほど買ったのだろうか。おかげで、財布も空っぽだ。
「よし、これだけ買えば・・・・・。他のみんなも沢山買ってくれたし」
俺はそう言って、指を折って買った枚数を数える。
おそらく、俺の学校内だけで300枚を超えているのではないだろうか。
「すごーい、ありがとう!」
ハピマテはこっちをにこにこしながら見ている。
俺はPCの電源を入れ、VIPを開いた。
みんなが「買った」という報告や画像をみていると、ふと目に飛び込んできたレスがあった。


この最終版で、この活動も終わりなんだよな。
終わったら、これってどうなっちゃうんだろ


俺はそのレスを見て思った。
この最終版が発売されて、オリコンの結果が出たら、ハピマテはどうなっちゃうんだろう。
このときのハピマテというのは、もちろん、俺の隣で座ってディスプレイを見ているハピマテのことだ。
それは、今までに何度か考えたことだったが、その時期が近くなるにつれて重大なことのように思えてきた。
最終版の結果が出ても、今まで通り俺の隣で笑っていてくれるのだろうか。
それとも、まさか――
俺は軽く頭を振って、思った。
――きっと、前者だろう。
何故か自分にそう思いこませようとしていた俺がいたのだ。
「あの、さ――」
「なに?」
俺はハピマテに話しかける。
「君は、ハッピーマテリアルっていう存在なんだよね。音楽の」
「そうだよ」
「じゃあさ――」
そこで俺は言葉を切り、息を吸い込んでから言った。
「最終版の結果が出ちゃったら、君は、ハピマテは、どうなるの?」
その言葉に一瞬、一瞬だけだが、ハピマテの顔が曇った。
だが、すぐに笑顔になって
「それは――実は私にもわかんないんだよね。うん、私も、わからない」
最後はひと単語ずつ区切るように、言い聞かせるようにハピマテは言った。
「そうなんだ」
俺は言葉ではそう言ったものの、納得していなかった。
――ハピマテはきっと何か隠しているんだ
と、直感で思った。
だけど、もしも隠しているとしたら、俺が考えているように――
そこまで考えて、また頭を振る。
今は、今のことに集中するべきだ。
後のことなんて、考えている暇はない。
今は水曜日に発表される、ウィークリーランキングのことで、頭がいっぱいのはずだった。
「えーっと、そ、それでさ」
「ん?」
ハピマテの言葉に耳を傾ける俺。
「あの、その、ネットの方ではどのくらい買ってくれてるのかな?」
「かなりの量みたいだね。今回は強敵揃いだけど、無理なことはないと思う」
ハピマテが話題を逸らしたのは見え見えだった。
だが、俺はあえてそれに気づかぬふりをした。
俺は士気UPのために、デジカメで買ったCDを撮ってVIPに貼り付けようと、デジカメを探す。
そして、向こうの棚にあるのを見つけ、
ハピマテ、ちょっとそれとって」
と声を掛けた。
「え?どれ?」
「ほら、それ――」
俺はデジカメを指さすために前のめりになる。
が、その結果、足下に大量に束ねてあったコードに足を引っかけてしまった。
「お、あ、あー!」
「え?きゃー!」
ドシーンと豪快な音がして、俺が転び、ハピマテもそれにつられて転んだ。
その結果、俺が上になり、ハピマテを押し倒すような形になってしまった。
「え、あ、え・・・・・」
その状態が数秒間続く。
そして、俺の理性が動いた――


「あ、えっと――」
ハピマテがとまどいの声をあげる。
が、俺は何も言わない。
何を考えているのか、自分でも理解できない。
ただ、ハピマテの目をじっと見つめている。
息が、荒い。
ハピマテの顔が少しだけ赤くなる。
俺は少し、体を起こすと、ハピマテの顔に手をやった。
暖かい、柔らかいぬくもりを感じる。
その顔をただ単に手でなでた。
「な、なに・・・・・?」
ハピマテの顔がみるみる赤くなる。
俺は自分で考えて手を動かしているわけではない。
無意識のうちに、という奴なのだろう。
が、頭の中は真っ白で、そんなことを考えることもできない。
そして、しばらくその行動を続け、ハピマテの顔を両手で包み込むように持った。
そのまま、その顔を少し上に持ち上げる。
「・・・・・え?」
ハピマテが声をあげるが気にしない。気にならない。気にすることができない。
そして、そこに自分の顔を近づける。
少しずつ、少しずつ。
ハピマテの顔が耳まで真っ赤になる。
俺の顔も少しくらいは赤くなっているのだろうか。
そして、俺の顔とハピマテの顔が触れる直前まで接近した。
ハピマテの息が顔にかかるくらいまでに。
「・・・・・」
ハピマテは喋ることもない。ただ、静かに黙っている。
俺はそのまま、顔を近づける。
ハピマテも、ついに目を閉じる。
そして――


光る風を追い越したら〜♪


その音に俺は驚いてその体制から飛び起きた。
近づいていたハピマテの顔が一気に離れる。
携帯の着メロだった。
俺はやっと我に返り、いそいで携帯の方に立ち寄り
「はい、もしもし」
と出た。
「あ、もしもし、私だけど」
電話から聞こえてきたのはあの娘の声だった。
「あ、えっと、なに?」
「連絡網なんだけど、明後日の火曜日は登校日になったので8時までに登校するように、だそうです。じゃ、次の人に回して、お願いね」
「あー、うん、了解」
そう言うと、すぐに電話を切って、ハピマテの方を見た。
自分がしようとしていたことが信じられなくなる。
そして、一言だけ
「ごめん」
と言った。他になんと言えばいいのかわからなかった。
ハピマテ
「ううん」
と一言だけ答える。
そして、俺はすぐに照れ隠しかは分からないが、連絡網の紙を探し始めた。
探すために机に向かいながら俺はふとある事を思い、確信した。
そこで、彼女の顔が頭に浮かぶ。
「・・・・・よし」
俺はぼそっと自分にだけ聞こえるくらいの声で言うと、ある事を決心した。
ハピマテもそのことには気づかないだろう。気づかなかったはずだ。
そして、連絡網の紙を探すのをやめ、携帯を手に持ちメールを打ち始めた。
後ろからハピマテが赤い顔で俺のことをじっと見つめていることを知りながら。



月曜日。今日から、俺の学校は夏休みへと入った。
夏休みの宿題より、友達からの誘いよりも、俺はこの場に来ていた。
いま、今日、来なければならない理由があった。
「ごめん、まった?」
「いや、俺もいまきたとこ」
ここは近くの駅。
彼女といつもの遊園地に行くために、ここで待ち合わせをしていた。
「それじゃ、行こうか」
「うん」
そう言い、俺達は出発した。


「ひゃー、こんでるなー」
「夏休みの初日だし、みんな遊びに来てるのかも」
並んでチケット売り場で、一日フリーパスを二人分、なんとか買い、パンフレットを広げた。
何度もここには来ていたので、乗り物はほとんど覚えていた。
「さて、どれから乗るか・・・・・」
「じゃあ、これから――」
彼女が指さしたのは、コーヒーカップ
「OK」
と俺は返事をして、コーヒーカップの方に向かう。
思っていた通り、そこにはカップルが大勢。まばらだが親子連れも見られる。
「ちょっと待つことになりそう」
「時間はいっぱいあるし、別にいいよ」
順番がまわってきて、俺達はコーヒーカップに乗り込む。
BGMが始まり、ゆっくりと回転しはじめる。
真ん中にあるハンドルを回せばもっとはやく回るのだが、どちらもそれに手を伸ばそうとしなかった。
「今日は突然さそっちゃってごめん」
俺は話題作りのために、彼女に話しかけた。
「うぅん、私も今日暇だったから」
「でも、もしかして夏休みの宿題を初日で終わらせちゃうタイプだったりしない?」
彼女は笑って
「私は最初の一週間で終わらせちゃうタイプ。でも、日記は流石に毎日書かないと」
「へー、俺は日記も最初の一週間で終わらせちゃうよ」
「天気とかどうするの?」
「天気はネットで調べて最終日に全部埋める」
「なるほどー、それいいかも」
そんな平和な話をする二人を乗せて回転し続けるコーヒーカップ
時間制限が終わり、コーヒーカップから降り、次の乗り物を探し始める。
なるべく空いているもの・・・・・
そう思いながら、辺りを見回す。
「じゃ、次はアレに乗る?」
俺は比較的空いている様子だった、パイレーツを指さす。
船型の機体が左右に大きく揺れる、という乗り物だ。遊園地の定番ではないだろうか。
「なんか怖そう――」
「大丈夫だよ」
俺は笑って彼女の手を引く。
いつものように。何事も起こらないように。


「もう夕方になっちゃったなぁ」
「次に乗るので、最後にする?」
遊園地にあるほとんどの乗り物に乗り終え、俺達はアイスクリームを食べながら歩く。
「最後はやっぱり、アレ?」
「うん」
まだ乗っていない乗り物。
いつも最後に乗るもの。
観覧車だ。
今まで、俺は観覧車のような密閉された空間に入るのが怖かった。
自分が豹変してしまいそうだったから。
でも、今は違う。
何も思わない。何も感じない。
「じゃ、乗ろうか」
俺が列に並ぶ。彼女も後ろに並ぶ。
順番が来て、観覧車の中に乗る。
俺と彼女は向かい合うように座る。
「・・・・・」
無言。何も喋らない。話題は思いつくのに。
そのまま、時間がすぎ、観覧車から降りた俺達。
結局、一言も口をきかなかった。だけど、後悔はしていない。
「じゃ、帰ろうか」
そういう彼女を俺は人気のない休憩広場のような場所につれていく。
あるのは自動販売機と、樹木だけ。
俺は少しためらったが、息を吸い込んで、第一声を放った。
彼女に対して。考えていた、言葉を。
「あのさ――」


そこまで言ってから、また言葉が続かない。
意を決して言葉を出そうとするが、何故だかわからないけど、できない。
そんな俺を彼女はうつむきながら待っていてくれる。
何を思っているのだろうか。
早く何か言って欲しいと思っているのか。それとも、俺が言おうとしていることが何か考えているのだろうか。
それとも、俺が言おうとしていることを察して黙っているのだろうか――
ともかく、言わないと何も始まらない。
言おうとしていることが、彼女を傷つけてしまうかもしれない。
それで、俺はひき目を感じているのだろうか。
そんなこと考えなくても、わかっている。そうに決まってるじゃないか。
そんなことを考えている暇はない。
とにかく、言わないと。これを。俺が思っていることを。
そう思って、もう一度深呼吸。
告白の返事をするのより、大変だ。
そして、俺は口を開く。
「あの、さ、俺、謝らなきゃいけないことがあるんだ」
「・・・・・」
彼女は俺の話を無言で聞いている。
そんな彼女に俺は何でもないことを言うように言った。
「他に好きな人ができた」


そのあと、1分くらいだろうか。
二人は無言だった。
なんと返事をされるか怖かった俺は、何も言ってこなかったことで、少しほっとした。
彼女が何も言わないのを確認して、俺は話を続ける。
「二股みたいなことはしたくないんだ。そんなことしたら、君も嫌だろうし」
うつむき加減の彼女に、俺はわざと追い打ちをかけるように言う。
「だから、別れよう。俺達」
俺もこういう言い方をしないと、自分が持たなかった。
どうすることもできない。感情に振り回されそうだった。
「・・・・・・わかってた」
ずっと黙っていた彼女がぼそっと口を開いた。
「私、あなたが他に好きな人がいるんじゃないかって。な、なんとなくだけど――」
俺は彼女の顔を見つめる。
彼女は続ける。
「私の、しらない人、でしょ?」
「・・・・・うん」
気がついた。
泣いてる。
当たり前かもしれない。予想外かもしれない。思っていた通りかもしれない。
「私も、あなたが好きな人といれるのが良いと思う。私がいたら、い、居づらいだろうから・・・・・・」
単語1つずつ、ゆっくり発音する彼女。
あふれる涙を堪えきれないようだ。
「わ、私と付き合って貰ったのも、私が無理矢理言ったみたいだったし・・・・・」
「そんなことないよ」
俺は彼女に言い聞かせるように言う。できるだけ、優しく。
「俺も、君は好き。もちろん。だから、無理矢理なんかじゃない」
「そ、それなら、い、いいんだけど・・・・・」
今にも崩れ落ちそうな彼女。
俺はどうすることもできずに、ただ一緒に立っているだけ。
そんなことって、あるんだろうか?
俺が、悲しませた。なのに、何も出来ない。
ただ、俺が何かいってあげたりしたら、それは馬鹿にしているように見えてしまうのだろうか。
俺はそう考える。
目の前にいるのは泣いている彼女。
そして、この場にいるのは、ただ立っているだけの俺。
「・・・・・」
少しだけ、考えてから、俺は決めた。
予定通りのことをやる必要も、もうないだろう。
予定外のことを、やっても別にいいだろう。
俺はそう思い、彼女の方に腕を伸ばす。
泣いている彼女の肩に腕を回す。
そして、何事かと泣きはらした目でこっちを見る彼女の一瞬だけ見つめる。
俺は腕を自分の方に持ってくる。
彼女の顔も、こちらに寄る。
俺は顔を近づける。
同じ高さに持ってくる。
そして、
目を閉じて、自分の唇を彼女の唇にそっと重ねた――



あれからその場にただ立っていることしかできない様子の彼女を置いて、走って家まで帰ってきた俺。
家に帰ってきてからは、ハピマテに何を言われても俺はただ黙っていた。
そして、その日はすぐに布団に入って寝た。


――火曜日。
俺は8時まで寝ていたが、一昨日あの娘から来た電話を思い出して飛び起きた。
そうだ、今日は登校日だった。
たしか、登校時間は8時。時計を見ると、8時1分32秒。
電波時計なので狂っているはずは、ない。
急いで着替えると、俺は朝ご飯も食べずに家を飛びだした。
確実に遅刻だが、走ればすぐに学校には着くはずだ。
校門をくぐり、教室へと上る階段を駆け上がる。
ガラッ
ドアを開け、
「す、すみません、遅刻しました!!」
と言いながら教室に入った。
――あれ?
教室に、担任の姿が見えない。
時計を見ると、8時12分。
「え、あ、あれ?」
俺は周りをきょろきょろと見回す。みんながくすくすと笑っている。
あの娘が俺のそばに来て、言った。
「いっつも遅刻するから、ホントの時間より15分早く教えて置いたの。ホントの登校時間は8時15分。間に合って良かったわね」
俺はその言葉を聞き、がっくりと膝をつく。
――じゃあ、こんなに全力疾走で来なくてもよかったわけか・・・・・
「ほら、あと2分で先生が来るからはやく席に座りなさい」
あの娘に言われ、俺はよろよろと自分の席にいくと、崩れ込むように座った。
こんなに走ったのは久しぶりだ。息が荒い。
「よっす、まんまと騙されたみたいだな」
あいつが話しかけてくる。
俺は力無く頷いた。
「ま、間に合ってよかったな」
「まぁな・・・・・」
そう言っているうちに、チャイムがなって担任が教室に入ってきた。
「それじゃ、一時間目はホームルーム。二時間目から集会。それで下校だ。夏休み中に学校なんて、お前達も不幸だな・・・・・」
そう言うと、担任は学級名簿を広げた。


集会ということで、俺達は体育館に集まった。
整列すると、隣の列に彼女が立っていた。
彼女は俺のことをちらっとみる。
俺は目を合わせないように、反対側を向く。
どうも、目を併せづらい。
「それでは、集会を始める」
校長がそう言う。
俺はその時間中ずっと式台の方に集中していた。
いつもなら、きょろきょろ周りを見回して、落ち着きがない様子をしているのに。
今日は周りを見ると、彼女と目が合ってしまいそうで怖かった。


集会が終わり、下校しようとするとあの人がポケットに手を入れたまま歩いてきた。
そして、一言だけ
「フった?」
と言った。
俺は驚く。
そのことは、誰も知らないはず。まさか、彼女が喋った?
いや、それはないだろう。彼女はそんなことをする子じゃない。それは俺が補償できる。
そして、思い出した。
――そうだ、この人は秘密を見つけだす天才だった・・・・・
俺はあの人の言うことをスルーし、靴を履くとそのまま無言で家に帰った。
振り返らなくても、あの人が肩をすくめるのが分かった。


「ただいま」
「おかえりー!」
俺は帰宅すると、すぐに部屋に戻った。
俺の計画は彼女にあんなことを言っただけで終わったわけではない。
意味もなく、彼女と別れたりはしない。
あの時、『他に好きな人が出来た』っていったのも、断るための嘘の口実じゃない。
「あのさ、ハピマテ
「ん?なに?」
俺は振り向いてハピマテの方を見る。
真剣な顔をした俺に驚いて、ハピマテも少し真剣な顔になる。
「えっと――」
俺はそこまで言ってから、口を開いたまま言葉を止める。
不思議そうな顔をするハピマテに、俺はほほえみかけて、言った。
「ちょっと、出かけないか?そこの、公園まで」


「懐かしいな、この公園。ハピマテがプチ家出した時に、ここに探しに来たっけ」
「それは恥ずかしいから言わないでよー」
そう言うがハピマテも笑っている。
ちょうど時間は正午。
「それで、どうしたの?急に」
ハピマテが尋ねる。
俺は
「えーっと、話したいことがあってさ・・・・・」
と言葉を濁す。
そうしてから、一言だけ
「ブランコにでも乗ろうか」
と言った。


キーコ、キーコ・・・・・
ブランコがきしむ音がする。
俺の隣にはハピマテがいる。
ブランコに乗って、座っている。
しばらく、二人は無言だった。
ハピマテはブランコというものを知っているのだろうか?
始めはそう思ったが、普通に乗りこなすことができているようだ。
俺は頭の中で言葉を整理する。
――最初はなんと話しかければ良いだろう?
じっくり考えながらブランコをこぐ。
と、ハピマテがブランコから降り、俺の方に近づいてきた。
「え?」
俺が「なにするんだ?」と言おうとするが、その前にハピマテが俺の座っているブランコに立ち乗りをする。
俗に言う、二人乗り。
「え、ちょ・・・・・」
自分で顔が赤くなるのが分かる。
「なに照れてるの?」
笑いかけてくるハピマテ
「うるせー」
と冗談口調で答える。
こういうのも、悪くないな。
そう思いながら、しばらくブランコに揺られる。
俺はふと、下に降り、ハピマテの方を向く。
ハピマテもジャンプして、ブランコから降りた。
「あの、さ、ハピマテ
「なに?」
俺は深呼吸。
そして、ハピマテの目をみて
「前から言おうと思ってたことがある。」
と話を切りだした。
ハピマテは黙って俺を見ている。
そして、俺は一息に言った。


「俺、お前のことが好きだよ。音楽としても、人としても」


沈黙。
そして、その沈黙を破るハピマテの言葉。
「え、だ、だって、あなた、学校の女の子と付き合ってるって・・・・・」
「この前、別れた」
一言で答える俺。
さらに続く沈黙。
俺は何も話さない。ハピマテも何も話さない。
ハピマテの顔が髪の毛に隠れる。
髪の毛を手ではらう、いつもの仕草もせずにただ呆然と立っているハピマテ
俺はただ、そのハピマテの目を見ている。
もちろん、告白。人生で二度目の。
しかも、その相手が人間ではないなんて。
だが、俺には関係ないことだった。
人間だろうと、音楽だろうと、ハピマテのことが、ただ率直に、好きだった。
一度はそれで悩んだ。
他の人に相談もした。
だが、今答えを出したのだ。
後悔など、ない。
最終版の結果が出てしまったら、もしかすると、言えなくなってしまうかもしれないから。
沈黙が続いたが、その沈黙はまたハピマテによって破られた。
「わ、私・・・・・」
ハピマテは動揺した表情で何かを言おうとしたが、すぐに振り返り家の方向に走り去ってしまった。
俺はそれを立ち止まって、黙って見ていた。
追いかけることもしないかった。返事を聞こうと思うこともなかった。
そして、しばらくしてから、ゆっくり歩いて家に帰った。



家に帰ってから、ハピマテはずっと無言だった。
口を利くことも、目を合わせることもしてくれない。
だが、それも当然かと思った。
突然、何のきっかけもなくあんなことを言ってしまったのだから。
だけど、俺も答えがほしくて言ったわけじゃない。
今言わないと言うチャンスがなくなってしまうのではないかと思って自分の気持ちを伝えたのだ。
でも、と俺は思った。
でも、このままの状態では何か嫌だ。
ずっと、口を利いてくれないわけがないが、気まずい雰囲気が続くのは耐えられないかもしれない。
俺は自分の部屋から出ると、「いってきます」とも言わずに家を出た。
向かう先は、あの人の家。
ピンポーン
と呼び鈴を鳴らすと、すぐにあの人が出てきた。
「やぁ、珍しいね」
あの人にそう言われ、俺は
「うん」
とだけ答えた後、
「中に入ってもいい?」
と訊いた。
あの人は
「別に」
と言ったので、俺はすぐにあの人の部屋の中に入る。
中は様変わりしていた。今まであったポスターなどは、全て無くなっている。
いたって普通のシンプルな部屋になっていた。
そして、一番変わっているのは山積みにされたハピマテの山。
あの人はPCの電源を切ると、
「紅茶でも」
と言ってキッチンの方に向かった。
俺は、あの人に言うことを整理する。
そして、あの人が紅茶のカップを2つ持ってきて、俺に手渡す前に
「言いたいことがあるんだけど」
と言った。
あの人は驚いたような表情もせず、テーブルに紅茶を置いた。
俺はその紅茶を一口飲む。美味しい。
「で、言いたいことって?」
あの人が訊いてくるので、俺は考えていた言葉を口に出す。
「学校で訊かれたことだけど、うん、月曜日に彼女とは別れた」
あの人は予想通りという表情をして、紅茶を一口。
「それで、さっき、前に相談した、そう、他の人に告白した」
「返事は?」
間髪入れずに訊いてくる。
俺は首を横に振る。
「まだ、答えはもらってないってとこかな?」
「その通り」
あの人に見事に見抜かれながらも、俺は普通な様子を装い答えた。
「ところで、なんで僕の部屋がこんなに変わっちゃったからわかる?」
あの人が話題を変えるように訊いてきた。
「・・・・・わからない」
俺は素直に答える。
その答えにあの人は笑って
「実は君以外にも今日来客があるんだ」
と言った。
その時、呼び鈴が鳴る。
「ちょうど来たみたいだね」
あの人はそう言って、玄関の方に向かった。
「いらっしゃい」
というあの人の声の後に
「おじゃましまーす」
という声が聞こえた。あいつの声だ。
そして、あの人は部屋のドアを開け、客を招き入れる。
「お、お前も来てたのか」
あいつが俺のことを見て言った。
そこに立っていたのは、あいつ、あの娘、そして彼女だった。
「え、あ、あれ、どうしたの?」
「どうしたのもなにもねーよ、『MATERIALS』のメンバーで集まろうってことになったんだ。でもお前の携帯電源切れてたから、今日はお前抜きってことになってたんだけど、ちょうど良かった」
――そういえば、携帯の電源切りっぱなしだったっけ
「ま、座ってよ。君達の分の紅茶も淹れてくるから」
あの人はそう言って席を立つ。
「お前は何しに来たんだ?」
あいつに訊かれ、俺は
「ちょっとね・・・・・」
と曖昧な答えをした。
どうも、この場に彼女がいると気まずい。
「はっきりしないのね」
とあの娘に言われる。
あいつは本棚から難しそうな哲学書を取り出して少し読んでみては別の本を読む、という行為をくり返していた。
彼女は黙ってうつむいたままだ。
あの人が戻ってきたのと同時に、彼女が俺の方を向いて
「あの、ちょっといい?」
と訊いた。
俺は驚きながらも
「うん」
と答えた。
彼女に連れられ、廊下に出る俺。
「あの――」
彼女がそう言ってポケットの中に手を入れ、何かを取り出そうとする。
俺はその様子をじっと見つめているだけ。
「え、と――」
何をしようか迷っている彼女だったが、すぐに笑顔で
「ご、ごめん、やっぱりなんでもない。ごめんね、変なことしちゃって――」
とポケットから手を出した。
俺は何をしようとしているか考え、返答に迷ったが
「そ、そう。別にいいよ」
と言って、すぐにあの人の部屋に戻った。
「なにやってたんだ?」
あいつが訊いてくるが、俺は
「なんでもないよ」
とだけ答える。
今、廊下で何があったかは、あの人も想像できないだろう。
そして、彼女が何をしようとしたかは、俺も想像できない。



――そして、水曜日。
ハピマテ最終版週間ランキング結果発表日。
発表時間は夜の7時なので、余裕はある。
俺は昼ごろに起き、階段を降りて1階に向かった。
1階ではハピマテが朝ご飯を作ってくれていた。
ハピマテにとっては昼ご飯なのだろうが、俺にとっては朝ご飯だ。
「・・・・・いただきます」
俺はそう言って、トーストをぱくつく。
「・・・・・バター塗らないの?」
ハピマテに聞かれ、何も塗っていないトーストを食べていることに気づく。
いつもバターを塗ってトーストを食べるのが日課な俺が、ただのトーストを食べているのを見て、ハピマテも不思議に思ったのだろう。
俺は
「あ、あぁ、わすれてた」
とだけ答え、バターを塗る。
そして、再びトーストを口に運ぶ。
そして、また無言。
「ごちそうさま」
俺はそう言って席を立ち部屋に戻る。
そして、PCの電源をつけ、VIPを見る。
今日はやたら


今日で俺達の活動も終わるんだな


とか


今日でVIPともお別れなのかな


とかいうレスを多くみかける。
当たり前だろう。本当に“今日で”終わるのだから。
部屋には、PCのボイラー音とマウスのクリック音、キーボードを叩く音だけが響く。
俺はふと気づき、winanpを起動。『ハッピー☆マテリアル 5月度.mp3』を選択し、音楽を流し始めた。
静かだった部屋に、音楽が流れ始める。
現代音楽なんて信じられない時代があった。
そう、ついこの前まで、Jpopなど部屋で流すこともなかった時代があったんだ。
PCのハードディスクに、mp3ファイルなど数えるほどしかなく、音楽など飽き飽きしていた時代があったんだ。
曲を1回だけ聴いては、聴くのをやめる。
それをくり返して、『音楽毒舌評論家』なんて呼ばれていたこともあった。
そんな俺が、今、ハードディスクにアニソンをため込んでいるなんて、信じられないな、と思った。
部屋に鳴り響くハピマテ
これを歌ったりした。演奏した。みんなに認めて貰った。拍手を貰った。
ハッピー☆マテリアルが、俺の人生を変えた・・・・・・
いや、違う。それは違う。
ハッピー☆マテリアルを聴いた俺自身が、俺の人生の進路変更をしたんだ。
その進路変更は、間違いなく正しい選択だっただろう。
今まで通りの道を走っていたら、先はもしかすると、崖だったかもしれないから。
――あれ
なんでだろう。
何故だかわからないが、目から涙がこぼれてきた――


そして、夜の7時近くなった。
俺はオリコンのページを開き、更新の準備をする。
時計をみる。秒数が進んでいく。
6時59分。
もうすぐ。
「あの、さ――」
ハピマテが話しかけてきた。が、俺は
「もうすぐ7時だよ」
と言って、それを流す。
3、
2、
1、
更新。
画面が切り替わる。
目を閉じる。
そして、目を開ける。
そこにあったハッピー☆マテリアルの文字。
そして、その横に書いてあった数字。


9


9位。
俺は言葉が出なかった。
ディスプレイをのぞき込んでいたハピマテも言葉が出ない様子だった。
1位は無理だった。実現できなかった。ハピマテと俺の希望を、夢を。
数分間。部屋は沈黙した。
今まで感じたことがない沈黙。本当に、物音が一つもたたない。
そして、その沈黙に耐えきれなかった俺は
「あのさ――」
ハピマテに話しかけた。励まそうとした。慰めようとした。謝ろうとした。
どさっ
という音がした。
俺はいそいで振り返る。
そして、俺は唖然とした。
――ハピマテが倒れていた。



       (第九十一話から第九十九話まで掲載)