次の土日はあいつの考えでバンドの練習は休み、となった。
今まではオーディションまでの短い時間のために、必死で練習してきたが、合唱祭まではまだ時間がある。
少しくらい休みをとっても問題ないだろう、ということだった。
俺もその考えには賛成だったし、少し休息も欲しいと思ってきたころだった。
「今日はバンドの練習やすみなのー?」
部屋でPCをしているとハピマテが訊いてきた。
俺は振り返って
「そうだよ」
と答える。
と、ハピマテはなにやら着替えを始める。
俺は目を手でおおって
「おいおい、なにいきなり着替えはじめてるんだよ!一応、俺もいるんだぞ、この部屋には!」
するとハピマテはくるっと振り返って
「別にいいもん。見られても」
と言ったあとに、にこっと笑って
「ねぇ、どっかに遊びにいこうよ!」
と言った。
俺は、
「まぁ、今日は街をうろつくかぁ。」
「ねぇねぇ、私映画いきたい!」
「映画かぁ。いいな、よし、映画に行くか!」
そう言って歩き出す俺とハピマテ。天気は、晴れ。


――映画館についた。
「えーっと、今やってる映画はっと・・・・・・」
そう言ってポスターを見る。
「あー、これCMでやってた。あー、これもー。あーん、どれ見るか悩むなぁ・・・・・」
「そうだなぁ・・・・・・」
俺が財布の中身を相談しようと財布を開く。2500円。
中学生割引でこの映画館は1人1本1200円になる。古い映画館だ。
――あらかじめネットで調べれば印刷するだけの割引券とかあったかもな・・・・・
そう思っている俺は、ふと顔をあげた。
――え?
俺は目の前の光景に驚いた。
土曜日だから、映画館は混んでいた。
そして、その混んでいる人混みの中に、ある二人の人物がいた。


あいつと、あの娘だった。


――あ、あれ・・・・・
考えてみると、あいつが休みをつくろう、と言ったのはあの娘とデートの約束を組んでいた、またはそれから組もうとしていたからだったのかもしれない。
とにかく、今、同じ屋根の下に俺が振ってしまった女子が、他の男子と一緒にいる。
そして、俺の隣には外の目から見れば、カップルにしか見えない同じくらいの年の女の子。
――こりゃ修羅場だな・・・・・
俺は、今、彼女と付き合っている。それは自分でも勿論わかっていることだ。
でも、ハピマテに俺は『恋人』という意味で好意は抱いていない。
それにハピマテ自身は「自分は人間ではない」と言っているから、それは付き合っている、という範囲には入らないだろう。
だけど、それは自分の考え。外から見た感じは真逆のことだろう。
俺とハピマテはどうみても恋人同士。
兄妹と解釈されるかとも思ったが、年は同い年くらいに見える。まず、そうは考えられないだろう。
――こりゃ、どうしよう・・・・・
そう考えている俺の肩を、ハピマテは叩いた。
「ねぇ、この映画にしよう!ね!」
「あぁ、うん・・・・・」
そう言ってハピマテが指さしたポスターを見る。最近話題の映画だ。
そして、あいつの方をもう一回見る。あいつが買ったパンフレット。今ハピマテが見ようと言った映画のもの。
俺は少し考えた結果
「いいよ、それを見よう。俺もそれ見たかったんだ」
ハピマテに答えた。
ハピマテ
「わーい!」
と喜ぶ。
そうだ、これでいいんだ。
あいつとあの娘のデートを、尾行しよう。


「わーい、はじまるよー」
というハピマテに、俺はシーッというポーズをする。
それを見て、ハピマテは黙るが、その顔は期待であふれているようだった。
俺は映画よりも前の方に座っているあいつとあの娘のことが気になった。
二人は映画が始まる前、ポップコーンを食べながら楽しそうに話していた。
別に、あの娘からの告白を断ったのは俺自身だし、あいつとあの娘が一緒に映画に来ていて悪いことなんてないが、やはり気になる。
と、そんなことを考えていると、ブーッとブザーがなり、周りが暗くなった――


――映画が終わった。
最近話題の作品だっただけに、楽しめたのは確かだった。
ハピマテ
「うーん、楽しかったー。やっぱりテレビ画面でみるのと映画館のスクリーンでみるのでは違うよねー」
と言っている。
そんなハピマテに俺は
「ごめん、俺ちょっと行きたい所ができたんだ」
と言うとハピマテ
「うん、いいよ。私も行きたい所はないから」
と言ってくれた。
俺は
「ありがとう」
と返事をすると、すぐに周りを見回し、あいつとあの娘のことを捜した。
と、あいつとあの娘は早くも映画館を出ようとしていた。
俺はあわててハピマテの手をつかむと
「よし、いくよ」
と言い、ハピマテの手を引いた。


その後、あいつとあの娘はゲーセンに行ったり、商店街を歩いたり典型的なデートを繰り広げていた。
人を尾行する、という俺の怪しい行動にハピマテは何も言わずについてきてくれる。
と、あいつとあの娘はとあるデパートの中に入っていった。
「じゃあ、今度はそのデパートに・・・・・」
俺が言うとハピマテは、
「うん!」
と笑ってくれた。
そんな俺達の手は繋がれたままだった――


――デパート内。
あいつとあの娘は、書店や服売り場などを見て回っていた。
そして、俺とハピマテは二人を尾行しつづけている。
と、その時
ハピマテがマネキンの足につまづいて転んでしまった。
「キャッ」
声をあげて転ぶハピマテ。マネキンも一緒に倒れてしまう。
その音に、あいつ達も流石に気づいた様子で後ろを振り向く。
あいつは一瞬驚いた表情をして、俺達の方に駆け寄ってきた。
「お、よう。こんな所で会うなんて珍しいな」
あいつが話しかけてきた。
俺は、店員に謝りマネキンを元に戻すと、あいつに
「あ、あぁ。ちょっと買い物にね・・・・・」
と言った。
あの娘は、少しこわばったような表情をしている。当たり前だろう、あの娘はあいつと付き合っていることを、俺が知らないと思っているのだから。
さらに、あいつが言った。
「おいおい、お前、その女の子だれだよ。ははーん、もしかしてカノ女とかだったりして?」
にやにやするあいつに俺はあわてて弁解する。
「ち、違うって。この子はえーっと・・・・・そう、従妹なんだよ」
その場にはあの娘もいて、しかもあの娘には前、彼女と一緒にいる所を見られている。
さらに、違う女の子、ハピマテと一緒にいたら絶対に怪しいと感じるだろう。
この場を打開する策はやはり、ハピマテが身内だ、というしかなかった。
「この人達は?」
ハピマテが訊いてくるので俺は
「あぁ、クラスの友達だよ」
と教える。
その後、少し会話し、あいつは
「じゃ、俺達、買い物するから」
と言って手を振る。あの娘も
「じゃあ、またね」
と言い、あいつについていった。
俺はその様子を、どうしていいのか分からずただただじっと見ていた。


家に帰ってから、俺は何か暗い感じになってしまった。
――いつまでも、あの娘との関係をぐだぐだ引きずっていて良いのだろうか?
しばらく一人で考えてから、自分一人で考え込んでも何の解決にもならない、という結論に至った。
俺は少し迷ったが、携帯を取り出し、メールを送信した。
送信者は、あの人。
そして、内容は


明日、君の家に遊びに行ってもいいかな?


と、いうものだった。
返事はすぐに帰ってきた。


別にいいけど、僕の家をみて絶句しないように。明日の12時に学校の正門前で待ってるから。


俺はそのメールに「ありがとう。じゃあ明日行くよ」と返信をし、布団に入った。


翌日。
学校に行くと、すでにあの人が待っていた。
「ごめんごめん。遅れた」
「気にしないくてもいいよ。時間前だし、僕が早く来すぎただけだから。じゃ、行こうか」
俺は、すぐに歩き出すあの人に黙ってついていった。


あの人の家は、いたって普通の一戸建てだった。
「えーっと、今、家の人とかいる?」
俺が訊くと、あの人は
「両親はいつもは外国に住んでるんだ。だから僕はいつも一人暮らしみたいなもんさ」
俺はその言葉に驚いた。中学三年生が一人暮らし、なんて漫画の世界だけだと思っていた。
「まぁ、厨房に働かせるわけにもいかないって両親が仕送りしてくれるから生活費はそれで足りてるよ。困ることもなにもないさ」
『厨房』というのは、『中学生』という意味の2ちゃん語だ。
あの人は、VIPPER。忘れるところだった。
「ま、一人暮らしだからこそできる家だからね。存分に驚いて良いよ」
不適な笑みを浮かべながら、あの人はそう言うと家のドアを開けた。
――玄関は普通だった。
『驚く』だなんて言うもんだからメイドさんが10人くらい出てくるものだと思っていた俺は少し拍子抜けした。
「まだまだ、本番はここからさ。じゃ、とりあえず僕の部屋に入ってよ」
そう言って、家の中のドアを一つ開ける。
「・・・・・」
俺は、一瞬絶句するほど驚いた。
広い部屋。
そして、そこに張り巡らされたポスターの数々。
本棚に置いてある漫画、そしてそこに丁寧に整理されながら置いてある、フィギュア。
最後に部屋の端にちょこんと置いてあるPC。
もちろん、グラビアのもの、なんていう安易なものではない。すべて、二次元のものだ。
「三次元には興味ない。二次元しか見れないんだ」
あの人が言っていた言葉を思い出し、俺は改めて納得すると共に、その想像を超える部屋をただただ眺めていた。
「どうだい?驚いた?僕のイメージと合わないだろ?」
フフ、と笑いながら言うあの人。
「う、うん・・・・・。なんていうか・・・・・ただ凄いね・・・・・」
俺が言うと、あの人は眼鏡を直しながら
「ま、これが僕の正体さ。学校にいる僕は化けの皮を被っているわけ。学校で告白してくる女子にこの部屋を見せたら、三分の二は僕から遠ざかるだろうね」
「でもこの部屋に友達を招くこととかになったら・・・・・・」
俺が訊くとあの人は
「今までこの部屋に入ったことがある友達はいないよ。要するに、君が初めて」
と俺の方を指さした。
「え、あれ、そうなの?」
「うん。宅配便屋とか、玄関まであがりこむ事はあるから、玄関は普通にしてるけど」
そう言いながら、PCの電源を入れるあの人。
「この家の中で使う部屋っていやぁ、この部屋と台所くらいだね。あとは風呂とトイレか。リビングとか、居間とかは全然使ってないし、掃除もしてないよ」
そう言ってから、PCをいろいろと操作するあの人。
PCのデスクトップは、ネギまのキャラ、和泉亜子がスカートをめくってこっちを見ているなんともエロいものだった。
俺は思いあたる節があったので言おうとする。
「と――」
俺が最初の一文字目を言うとあの人は
「あぁ、『特定した』とか野暮なこと言わないでくれよ。これはたまたまVIPで拾って良いと思ったから使ってるだけだし、ハピマテスレでは名無しで書き込んでるから」
と言い、俺が考えたことを即座に指摘してしまった。
俺はため息をつき、部屋を散策しようとする。
が、あの人はPCの画面に向かったまま、俺に言った。
「僕に何か相談したいことでもあるんじゃないかい?無いんだったら、いいんだけど」


「・・・・・。」
あの人の言葉に、俺は少し驚いた。
さらに、次の言葉で、俺は驚くことになる。
「察するに、女のこと、かな?僕で良いなら相談にのるよ」
「えっと・・・・・」
俺は言葉に迷った。
PCのディスプレイを覗いたままのあの人にむかって、何から話せば良いのか。
「そ、そうなんだ。俺の話、訊いてくれる?」
「いいよ。何でも。」
こっちに背中を向けたままのあの人に向かって、俺は話し始める。
「えっと。俺はいま、君のクラスの子と付き合ってる。そして、その子と付き合う前に俺のクラスの委員長をフっちゃってるんだ。」
「知ってる。」
一言で返事をされるが、俺は気にせずに続ける。
「で、委員長は俺の友達と付き合ってるんだけど・・・・・。そして、その俺の友達・・・・・まぁ、MATERIALSのリーダーのあいつね、あいつと委員長がデートしてる所にこの前ばったり遭遇しちゃったんだ」
「・・・・・・それなんてエロゲ?」
「・・・・・」
「いや、ごめん。続けて」
あの人の反応に困りながらも話を続ける俺。
こういう二次元の女の子達に見つめられてる部屋で、『エロゲ』なんて言葉が飛びだすと、慣れない俺はドキッとする。
「それで、その時、委員長にあってさ・・・・・。な、なんつーか、その時、他の女の子と一緒にいたんだよね、俺。い、いや、そのその子と付き合ってるわけじゃないけどさ・・・・・」
「付き合ってるわけじゃないけど、なんなの?」
「え、えと、その、親戚っていうか・・・・・。身内・・・・・なんだよ」
あの人は、少し疑ったような顔をした・・・・・ような気がした。が、
「ふーん」
と言ってから「続けて」というそぶりをした。その顔はPCのディスプレイを見ている。
「それで、俺、今付き合ってる子のことは・・・・・もちろん、好きだよ。だけど、その、昔までは、委員長のことが好きだった、というか・・・・・」
上手く言葉にすることができない。言いたいことは、決まっているのに。
「そ、それに、その、親戚の子、も好き・・・・・なのかも、しれない・・・・・。それはよく、わからないんだ・・・・・」
呼吸を整えながら、言葉をくぎりながら言う俺。『親戚の子』というのは、勿論ハピマテのことだ。
「それで・・・・・俺、これからどうしていけばいいのかって・・・・・。今、確実に好きなのは、今付き合ってる、君のクラスの子・・・・・。委員長は、昔、というかつい最近まで好きだったから、それを引きずってるのかもしれない・・・・・」
「君、つい最近まで彼女いない歴=年齢だったんだよね?」
あの人が、ふとこちらを向いた。
俺は
「うん、そう。恥ずかしい、かもしれないけど・・・・・」
「恥ずかしくはないよ。僕も今、彼女いない歴=年齢だし。」
あの人の言葉に少し驚く俺。
あんなにモテモテなあの人が、彼女を作ったことがないなんて・・・・・
あ、モテモテって死語か?いや、そんなことを考えてる場合じゃなくて・・・・・・
――駄目だ、完全に混乱してる・・・・・
「で、僕にどうしてほしいの?」
「ど、どうしてって・・・・・」
「アドバイス、でもしてほしいの?僕は脳内でしか、女の子と関係を作ったことないけど」
俺は、少し考える。
あの人のアドバイスは、なんとなく効果がありそうな気がする。
でも、実際、あの人の異性との付き合いは皆無。
だけど、今、俺が頼れるのは、あの人くらいしかいない・・・・・
俺は考えたあげく、あの人に対して
「お願い。アドバイス、頂戴」
と言った。
あの人は、フッと笑って、PCのディスプレイの電源を落とす。
「じゃあ、僕なりの考えを言うよ。だけど、これで失敗しても僕はしらないので、そのつもりで」
そう言うあの人に俺は頷いて、返事をした。
「分かった。お願い」


――あの人の家に行ってから、1時間ほどが経過した。
「じゃあ、今日はありがとう」
「あぁ、気にせずにいていいよ」
あの人は玄関まで見送りにきてくれた。
「帰る道は・・・・・覚えてるよね?」
「うん、大丈夫」
俺はそう言うと、あの人に手を振って
「じゃあ、また明日学校で」
と言った。あの人も片手をあげる。
バタン
あの人の家のドアが閉まる。
俺は、息を大きくすって、吐いた。
そして、俺は家に向かってあるきだす。
その途中に、今さっき、あの人から言われたアドバイスを思い出した――


「――僕からのアドバイスは、一つだけ。」
「う、うん、なに?」
「自分の意思を第一優先に。よくわからないようだったら、今の状態を持続させて、自分の本当の気持ちが分かるようになるまで待つ。」
「・・・・・それだけ?」
「それだけ。僕が言えるのはそれだけ。僕がとやかく言う場面じゃない」
「・・・・・そっか、うん、そうだな。ありがとう――」


――自分の意思を第一優先、か・・・・・
頭の中に、彼女と、あの娘の顔が浮かぶ。
そして、もう一人。
ハピマテの顔も浮かんだ。
「意思っていってもなぁ・・・・・」
つい、気持ちを言葉に出してしまった。
――これは、やっぱ、現状維持、か。それが一番かな・・・・・
そう考えると、俺はもうそのことについて考えるのをやめようと頭を振った。
そして、家に向かって走り出した。


「ただいまー・・・・・」
そう言ってドアを開けると、すぐにハピマテが出迎えてくれた。
「おかえりー!結構早かったね」
「うん、話すこと話して帰ってきたから・・・・・」
俺はそう言いながら靴をぬぎ、自分の部屋へあがっていく。
ふと、振り返るとそこにはハピマテの笑顔があった。
――ハピマテ、かぁ・・・・・
もちろん、音楽のハッピー☆マテリアルは好き、大好きだ。
だけど、俺の家に住み着いているハピマテは、どうなのか、自分でもわからない。
思いあたることは多々ある。
だけど、それが『好き』ということなのか、わからない。
「ねぇねぇ、バンドでハピマテ弾くんでしょ?ね?だったらハピマテ沢山聴かないと!」
「あぁ、そうだな・・・・・」
俺は生返事をしながら、PCをたちあげ、VIPとwinampを起動させ、ハピアテを流した。
ハピマテはにこにこしながら聴いている。
俺も、しっかり音とコード進行を覚えようと、集中しようとするが何か気が散ってしまう。
――こんなことじゃ、あいつら・・・・・『花鳥風月』に勝てないよな・・・・・
そう思い、集中、と自分に一言言い聞かせて曲を聴くことに集中する。
まず、何月度を歌うか考えないとな・・・・・
やっぱり、5月度、それか6月度か・・・・・
「なぁ、ハピマテは何月度歌えばいいと思う?」
俺が唐突にハピマテに話をふると、ハピマテは少し考えたから答える。
「5月度!」
「なんで?」
「だって、台詞が一番面白いから。バンドコンテストって歌が上手いことはもちろんだけど、おもしろさとか盛り上げ方も大事でしょ?」
俺は考えた。それも、一理あるな・・・・・
「そうだね、じゃあ、あいつにそう言っておこうかな」
そう言うとハピマテ
「でも、何月度でもハピマテを歌えば1位間違いなし!うん、大丈夫!」
と笑ってくれた。
俺もつられて笑う。
「だよな。やっぱ、レンジ歌ってる奴らよりハピマテだよなー」
俺はVIPを開くと、今の全体像を確認し、最終版への貯金を確認する。
「俺達も、ハピマテも1位にしてやるよ!俺の名にかけて!」
「その台詞どっかで聞いたよー」
ハピマテと冗談交じりに話しているうちに、俺は悩みなんて忘れてしまっていた。


翌日の月曜日。
合唱祭の朝練があったため、はやめに登校した俺を待っていたのは、意外な光景だった。
いつもなら、ドアをあけ、教室に入るとみんな電子オルガンの周りにあつまって歌の練習をしているはずだった。
が、しかし、今日は違った。
男子も女子も、みんなで集まって何か話しをしていた。
「よっす。なに?どうかしたの?」
俺が訊くと、みんなが振り返った。
なにか暗い表情だった。
あいつが俺の方に近づいてきて、カバンをおろしている俺に状況を説明してくれた。
「それがさ、俺達のクラス、指揮が超上手い奴がいて指揮者賞は心配しなくていいと思ってただろ?」
「あぁ、うん」
「だけど、そいつが急に入院しちまったんだよ」
あいつが言ったことに、俺はしばらく声が出なかった。
呆然とあいつを見つめ、そして、やっと口を開く。
「え、そ、それホントなの?」
「あぁ、本当。」
「ちょ、い、いつまで入院してるんだよ?合唱祭には間に合うんだろうな?」
「間に合わないからこうして話し合ってるんだろ?俺達、課題曲も自由曲も指揮はあいつに任せちゃってたからさ、どうしようかって・・・・・」
俺は考えた。
今から指揮者を変えて、ちゃんとやっていけるのだろうか。
合唱もバンドも、指揮をとる人が一番重要だ。まとまらないとできないことだから。
「で、どうするんだよ?これはちょっとやばいぞ?」
「だから、代わりの指揮者を決めようとしてるんだけどさ、なかなか意見がまとまらなくて・・・・・」
そう言ってからあいつははっとして、言った。
「そうだ、そうだよ!お前がいたじゃねーか!おい、お前、指揮者やってくれないか?」
「・・・・・え?」
俺はさっきよりも驚く。
「え、『お前』って・・・・・俺のこと?」
「そうだよ、お前以外に誰がいるってんだ?」
あいつの言葉に俺はすぐに
「む、無理だって!俺、音楽よくわかんねーし、指揮者なんて無理!」
と拒否。
だが、みんなはすぐにその気になって、
「そうだ、そうだ!お前やれよ!」
「バンドで忙しいかもしれないけどさ、頼むよ」
と俺を攻撃する。
挙げ句の果てに女子までも
「お願い!私達じゃやれる人いないから!」
「指揮くらい音楽わかんなくたってできるって!」
と俺を推薦する。
俺は助けを求める意味も含めて、あの娘の方を見る。
だが、あの娘の言葉は俺の期待を裏切るものだった。
「バンドでも歌上手く歌えてるし、大丈夫なんじゃない?べ、別に無理にしてほしいわけじゃないけど・・・・・」
「・・・・・」
俺は黙ってしまう。このクラスで俺を推薦していない人は、いない。
「し、しかたないな・・・・・。だけど、俺のせいで失敗しても何も言うなよ?」
俺がそう言うと、歓声があがった。
あいつも
「おう、助かったよ!一時はどうなることかと思ったけど、お前ならやれるって!」
「そうだ、お前、みんなにも好かれてるし。がんばれよ!俺もついていくから!」
あいつやあの娘に、あれほどまでに言われて断れる人がいたら見てみたい。
俺が小心者なだけかもしれないが、一気に心臓の鼓動が高まった。
「でも、俺、指揮のやりかたとかよくわかんねーし・・・・・」
「大丈夫大丈夫。今から音楽の先生のとこに行ってこい。教えてくれるらしいから」
あいつに言われ、俺は
「わかった。じゃ、ちょっと行ってくる」
と音楽室に向かった。


「た、ただいま・・・・・」
朝の会の途中で、俺は戻ってきた。
指揮、ただ棒を振っているだけかと思っていたら、これがまた難しい。
リズムがズレないように考えながら振らなければならないし、しかも強弱だけではなくみんなが入りやすいような指揮をしなければいけないらしい。
――本当に俺にこんなこと、できるんだろうか?
――いや、ここでやらないと、『小さな勇気』か・・・・・。なんでこんなことに・・・・・
心の中で自問自答しながら、席につく俺のことを、何故だかわからないがあの娘がじっと見ていた。


授業が終わり、帰宅しようとしている俺にあいつは
「今日帰ったら俺の家に集合な」
と声をかけ、走っていった。
――バンドの練習か。忘れる所だった。
そう思うと俺も家に向かって走り、はやくあいつの家に行けるように急いだ。


あいつの家につく。
「おう、お前が最初だな」
あいつに言われ、俺は用意されていた座布団に座った。
「みんなが来ないけど、時間ないからまず最初に俺達だけで話を進めちゃおう。みんなには二人で話したことを伝えればいいだろう」
「うん、OK」
あいつはメモ帳を取り出し、メモの用意をしながら俺に訊いた。
「いきなり本題だが、合唱祭の時のハピマテは何月度を歌うべきだと思う?やっぱ一番ノーマルな1月度か?」
俺は昨日ハピマテが言っていたことを思い出しながら答える。
「俺、バンドコンテストって歌の上手さも重要だと思うけど、盛り上がり具合も大切だと思うんだ」
「うんうん、それで?」
「それで、俺はあえて5月度を歌ったら良いと思う」
「・・・・・」
あいつは黙ってしまった。
あいつが黙ると、言った俺も恥ずかしくなってくる。
「5月度で盛り上げるってことは・・・・・アレだな?」
やっと言った言葉が、それだった。
俺は
「あぁ、アレ。うん、アレだ」
「言っておくが、アレを言うのはお前と委員長だぞ?」
「・・・・・・わかってる」
急に空気が重くなった。
冗談っぽかったムードがだんだん真剣になっていく。
「冗談じゃなく言ってるんだよな?」
「もちろん、俺は本気だ」
「・・・・・じゃあ後からくるみんなにはそれが俺とお前の意見ってことで伝えよう」
「OK」
と、そこまで話した時にピンポーンとインターホンが鳴った。
「はい」
あいつが出ると、彼女、あの娘、あの人の三人が一気に入ってきた。
「よう、みんなで来たのか」
「うん」
一通りの挨拶を交わすと、あいつは「座ってくれ」といい、話し始めた。
「みんなが来る前に俺とこいつで話し合ったんだが、合唱祭の時に歌うハピマテは・・・・・5月度のが良いと思うんだ」
「・・・・・・え?5月度?」
あの人が少し、少しだけ驚いたような顔をする。
「5月度って・・・・・台詞は?」
今度はあの娘が訊く。俺と、あいつは「あー、言っちゃったー」というような表情をする。
「台詞・・・・・。もちろん、あの台詞だからこそ、5月度なんだ」
あいつがそう言ってからニヤリと笑った。
そして、盛り上げることも大事、ということを説明する。
「どうだ?反論があったら言ってくれ」
あいつの言葉にあの人は
「僕は何にもないね。5月度は演奏がちょっと難しいかもしれないけど」
と返事をする。彼女も、
「私も5月度で大丈夫。ちょうどCDも持ってるからー・・・・・」
とOKの返事。
あとは、あの娘の返事だけだけど、そこが一番問題だ。
俺は、もう羞恥心をすてる覚悟はできている。
が、やはりあの娘は女の子だ。「あの」台詞を言うのにはやはりひきめを感じてしまうだろう。
「じゃあ――」
じゃあ、俺が台詞全部言うよ。
そう言おうとしたが、その言葉はの娘にかき消された。
「私はOKだよ。あくまでめざしてるのは優勝だから。恥ずかしいなんて思ってる場合じゃないと思う」
意外な答えだった。が、完璧な答えでもあった。
「ホントに?ありがとう」
俺が言うと、あの娘は笑って
「別にいいから。私がそんなんで恥ずかしがると思う?」
と言ってくれた。
その笑顔が、なんだか懐かしいように感じられたから、不思議だ。


ハピマテ5月度を歌うことに決まって、その日はみんなで楽譜作りに励んだ。
何度も何度も繰り返し5月度を聴き、耳コピで音をPCに写していく。
普通なら何日もかかってしまう作業だろう。
だが、彼女とあの人のおかげで、その作業もはかどった。この二人、やはり流石だった。
あいつも、その二人には及ばないものの必死でやっているようだった。
音を聞き取って、五線譜に書くことができない俺とあの娘は論外。
と、いうことで、俺とあの娘は別室で歌の練習をする。
5月度に合わせて一通り歌ってみてから、それぞれのパートわけをする。
結局、「例の」台詞の所は、「ボクらも…」が俺、「あ〜ん…」があの娘、ということになった。
男子の俺が「ボク」という台詞を言えば、違和感がないという結論になったからだ。
俺は
「で、でも後の台詞の方がその・・・・・言うの恥ずかしくない?」
とあの娘に訊いたが、あの娘は
「さっき恥ずかしくないって言ったんだから恥ずかしくないのよ。大丈夫、心配しなくても」
とあくまでその体制を崩す気がないようだ。
――俺に心配をかけないように強がりを言っているのだろうか?
そんな、余計なことを考えてしまうが、今はバンドの練習に集中しようと思い、邪念を振り払う。
「ここはこうあわせようよ」
「やっぱりここは二人で歌った方がインパクトがあって――」
練習は、6時までかかった。
「よっしゃー!できたー!」
隣の部屋からあいつの声が聞こえたので、俺とあの娘は二人で部屋に戻る。
「できたの?」
「あぁ、できた。流石だな。結構短時間でできあがったよ」
印刷された楽譜を俺達に見せるあいつ。
だが、俺には何が書いてあるのかまったくわからない。
「なんか5月度の伴奏って明るいイメージがあるけど、ベースとドラムとキーボードだけでそれが出せるのかぁ?」
「あぁ、大丈夫大丈夫。キーボード中心にしてあるから、それは問題ないと思う。」
そう言った後にあいつは
「お前らの歌も聞かせろよ。練習してたんだろ?」
と話を変えてきた。
俺とあの娘は顔を見合わせて、目配せで相談をする。
「さぁさぁ、はやく。じゃ、5月度のカラオケバージョン流すぞー」
そう言いながらPCを操作するあいつ。
こうなってしまってはもう止められない。こんなところで恥ずかしがっていたらステージで歌うなんて無理だ。
俺はそう自分に言い聞かせ、準備をする。手には、マイク。もちろん電池は入っていない。
「光る風を――」


歌い終わり、マイクをおく俺とあの娘。
あいつは、台詞の所で爆笑。彼女は少し顔を赤くし、あの人はまったくの無表情。
「ど、どう?」
あの娘が訊くと、あいつは
「初めてにしてはいいと思う。やっぱ、これから練習してこそだな。俺達も楽器の練習しないと」
と言う。だがその顔は今だににやけている。
俺はあいつに向かって言葉をかけようとする。
「そうか、ならよかった。やっぱ、台詞はちょっと恥ずかし――」
そこまで言ってから、急に頭が強烈に痛くなった。
「う・・・・・く・・・・・」
うめき声にもならない声をあげながらうずくまる俺。
目の前に霧がかかったようで、周りがよく見えない。
そして、ついに二本の足で立つのも辛くなり、倒れ込む。
遠くからあいつや、彼女、あの娘が
「おい、大丈夫か?」
「ど、どうしたの?だ、大丈夫?」
「な、なに?どうしたの?」
とあわてる声が聞こえる。俺は「大丈夫だから」と返事をしようとするが、声を出すこともできない。
あいつ達は
「おいおい、これどうすればいいんだ?」
とあわてている。
そんな中、彼女がしゃがんで俺の顔の方に手を伸ばすのが、かすむ視界のなかで分かる。
――なにしようとしてるんだ?
と、俺の額に彼女の小さく、冷たい手が乗せられた。
冷たくて、気持ちがいい。
「た、大変!凄い熱出てる!」
珍しく大声をあげる彼女。その様子をみて、あわてるあいつとあの娘。
あの人はというと、いたって冷静にその様子を見ている。
あれ、駄目だ。話を聞こうとするのも辛くなって――


「・・・・・ん――」
目を開けると、そこには見慣れない光景が広がっていた。
「あ、あれ・・・・・?」
起きあがろうとするが、力がでない。
自分の腕を見ると、針のようなものがささって、そこからホースが繋がっていた。
キョロキョロしていると横から
「あ、目さめたか?」
と声が聞こえてきた。
見ると、あいつがこっちをのぞき込んでいた。
「え、ほ、ホントに――?」
「良かった。あのまま死んじゃったらどうしようかと思ったよ」
とみんなが話しているのが分かる。
そこに座っていたのは、あいつ、彼女、あの娘、あの人、そして母親。
「ん、お、俺、どうしたんだ――?」
俺が訊くとあいつが状況を説明してくれた。
「お前がバンドの練習終わったら倒れちゃうもんだからびっくりしてさ。そしたらこいつが救急車呼んでも問題ないって言うから、病院に運んでもらったんだよ」
『こいつ』の所であの人を指さしながら言うあいつ。
「あの時は救急車呼んで正解だったよ。なんたって君、普通の病院じゃどうしようもないくらいの高熱が出てたんだからね」
「そ、そうなんだ・・・・・」
あの人は俺の腕に刺さっている針を指さして
「だから点滴もしてるんじゃないか。君、今なにか食べたら戻しちゃうよ」
そんな話をしている後ろで、あの娘と彼女は俺の母親に謝っていた。
「体調がこんなことになってると知らずにバンドの練習なんかしてしまって――」
「本当にすみませんでした・・・・・」
しかし、俺の母親は平和だ。
「いいのよ。自分の体調も把握できてない方が悪いんだか。気にしないで。」
よく、この物事を気にしないのは親譲りだと言われる。
自分では結構悩みが多いつもりなのだが――
こんな平和で悩みというものをしらない母親と一緒にしないでほしい。
そんなことを考えながらも
――こんな馬鹿考えてられるんだから、大丈夫だろう
とも思う。
「熱冷ましは点滴してるけど、やっぱりまだ熱はあるみたい。今日病院に泊まれば、明日は家に帰れるらしいから今日はゆっくりしてらっしゃい」
母親に言われ、ふと時計を見た。
8時。
「じゃあ私達は帰るから」
母親が言い、あいつ達に「帰りましょう」と言う。
俺は
「あ、あの夜遅くまでありがとう」
とみんなにお礼を言った。
あいつ達は
「安静にしてろよ。お前、指揮者もバンドもあるんだから」
「お大事に」
と声をかけてくれる。
「じゃあ」
と声をかけられ、ドアが閉まる。
個室の病室は急にしんとする。
――あ、そうだ。
そう思い、ポケットをあさる。
案の定、あいつの家に持っていったMP3プレイヤーが入っていた。
――ハピマテ、聴こう。
そう思い、耳にイヤホンをつける。
いつもの音楽が流れ始める。和む。心が和む。
「もうすぐ、最終版の発売かぁ」
独り言をつぶやく。
――最終版が発売されて、ランキングも発表されたらハピマテはどうなるんだろう
ふと、思った。
ベッドがきしむ音がきこえる。廊下をだれかが歩く足音が聞こえる。
――もし、ハピマテと別れなきゃ行けないことになったら
そこまで考えてから俺は頭を振った。ずきずきと頭が痛む。
――流石に、頭がいたいくて、気分が悪い。
俺は無駄なことを考えたくなくなり、目を閉じた。
次の瞬間、俺の意識は夢の世界へと移っていた。



       (第五十九話から第六十七話まで掲載)