遊園地に遊びに行ったのは楽しかったのだが、多少くたびれてしまった。
 俺はコンピュータの電源をつけ、キーボードに手を置いた。
 30分ほどブラウジングを続けていたが、突然本体の内部からブツン、という音が聞こえた。
「なんだ?」
 俺がそう言うと、横で自分のノートパソコンを使っていたセンスパも俺の方を向いた。
 マウスを動かしても言うことを聞かないし、キーボードを叩いても運とも寸とも言わない。一度強制終了をさせ再び電源ボタンを押すが、今度は電源がつかなくなってしまった。
「あれ、どうしたんだろう・・・・・故障かな・・・・・」
 本体を軽く叩いてみたりするが、結果は同じ。ハードディスクの中身は大丈夫だろうな、と不安がよぎる。
「壊れたんですか?」
「そうかもしれない・・・・・」
 配線をいじってみたりしたが、何も起こらない。俺は諦めて、次の日に連絡をするために、カスタマサービスの電話番号を調べてからセンスパに言った。
「直るまでセンスパのノートパソコン使わせてよ」
 しかし、そう言った後、センスパは
「駄目です。絶対に駄目」
と拒否。いかがわしいものでも入っているのかと思ったが、今、悪いセンスパの機嫌をますます悪化させることはない、と思い直して
「そうか、ならいいや」
と言った。


 風呂からあがり、翌日の授業の用意を揃えてから寝ようと思って、ポケットの中身を出した時、一枚の紙がはらりと落ちた。
「あれ、何か落ちましたよ――」
 センスパはそう言いながらそれを拾う。礼を言ってセンスパからそれを受け取ろうとしたが、そうするよりも前にセンスパの顔がみるみる赤くなっていった。
「な・・・・・、い、いったい何処で何をやってきたんですか!」
「へ?」
 俺はセンスパから落とした紙を受け取る。紙だと思っていたそれは、妹さんと一緒に撮ったプリクラだった。そこには引きつった笑顔で立っている俺と、俺に両手で抱きついている妹さんが写っている。
「え、いや、これはさ、いや、そういういかがわしい物じゃなくて・・・・・」
「そうですか。いかがわしくないんですか。じゃあ、何がどうなったらこういう状況になるのか説明してください」
 ・・・・・センスパはますます怒ってしまったようだ。きっと、こういう軽率なことは嫌いなのだろう。
「もう寝ますよ。おやすみなさい」
 そう言ったセンスパは、俺が布団に潜るのも待たず電気を消した。俺も渋々それに従い布団に入って
「おやすみ」
と目を閉じた。


 ――暑い。
 9月に入ったというのに熱帯夜に近い気温に感じる。夜中に目が覚めてしまった俺は、一階のダイニングで水を飲み、再び二階の自分の部屋に戻った。そして、唖然とした。
「・・・・・」
 目の前に広がっているこの光景は――こういうのは男のサガだろうから許してほしいのだが――天国かと思えた。
「う、うぅん・・・・・」
 暑さに寝苦しそうに身をよじらせているのは他でもない、センスパである。
 それだけなら構わない。布団を脇の方に寄せているのも、問題ではない。
 問題なのは、センスパが自分のパジャマのボタンに手をかけ、それを脱ごうとしている点である。
「あの、センスパ・・・・・?」
 一応呼びかけているが、寝ているようだ。
 パジャマの前はすっかりはだけており、センスパは次なるズボンにまで手をかけているところだった。
 流石にこれはまずい。俺はそう思ったが、どうするわけにもいかない。まさか、俺がボタンをつけなおしてあげるわけにもいかないのだ。
「ほら、風邪ひいちゃうぞ」
と言って、脇にあった布団を掛けてあげたが、30秒もしないうちにセンスパはそれを払いのけた。
 そして、寝言なのであろう、口を小さく開くと
「私も・・・・・好・・・・・き・・・・・」
と呟いた。
 その言葉に俺は心臓を一度、大きく脈打たせた。
 そして、何にも意気消沈して、その場を写真撮影しておきたい気持ちをぐっと抑え、センスパをそのままにして少し離れた場所に敷いてある布団に入った。


 俺の目覚まし時計がなる30分前のことだった。
「ひ、ひゃー!」
という悲鳴によって、俺は目覚まし時計よりも爽快な目覚めを得ることができた。
 悲鳴の主は、もちろんセンスパでしかない。どうやら朝まで半裸状態で寝ていたらしいセンスパは、目覚めて状況に気付き、そして悲鳴をあげた、という具合だ。
「ひ、あ・・・・・、ひ、な、なんですか!いったい!」
 半分寝ぼけている俺の胸ぐらを軽くつかんで、センスパはがくがくと身体を揺すった。
「いや、まずパジャマを着ようよ」
と俺は言う。センスパは顔を真っ赤にして後ろを向き、そしてパジャマのボタンを一番上までしっかり閉めると俺の方に振り返った。
 俺はそれを見計らって
「だからね――」
と、昨日の夜、俺が見た状況をありのままに説明した。こういう時は、嘘を言わないのが一番だ。自分が悪いことをしていないのであれば、嘘をつくのは無意味であるし非常に危険である。
 俺が一通り話し終えると、センスパは赤かった顔をますます赤くして
「そ、そんなはしたないことを・・・・・、す、すみません・・・・・・」
と呟くように言った。そんな姿を、俺は愛らしく思う。
 ふと俺は、昨日言っていた例の寝言が気になり、
「昨日、どんな夢を見てたか覚えてる?」
と訊いてみた。
 センスパは一瞬考え込み、そしてはっとした顔をした後に
「何も覚えてません」
と言った。冷静な口調だが、その表情は動揺を隠せなかったようだ。どうやら、嫌らしい夢を見ていたことは確からしい。
 と、目覚まし時計が音をたてて鳴った。俺はセンスパが着替えると言ったため、部屋の外に出て、歯を磨くために一階へと下りた。


「昨日は妹に付き合ってくれてありがとう」
 学校に着くなり、あの人が話しかけてきた。俺は、
「あ、ああ、うん」
と曖昧な返事をする。些細なこと――ではないが、まぁ、とりとめもないことが心に引っかかっていたからである。
 すると、あの人はその核心をつく質問をしてきた。
「で、昨日、妹に何かした?」
 ・・・・・まったく、恐ろしい人だ。
「え?」
「いやね、何処にいって何をしたのか、いつもみたいに自分から話してこなかったからね、あいつ」
 あいつ、というのは妹さんと解釈して良いだろう。
 俺は返事に困る。観覧車でキスしました、なんて、とても言えない。
 すると、あの人はふっと笑って
「ま、別に何があってもいいんだけどね」
と言った。その目は、まったく笑っていなかった。


 授業中も妹さんのこと、あの人のこと、センスパのこと――いろいろなことが心の中で混ざり合って、俺は何故だかぼーっとしていた。
 ノートを取ることもままならなかった俺は、何度か注意を受けた。もっとも、俺の前の席に座っている輩がしょっちゅう居眠りをしているせいで、俺への被害は軽減されたのだが(こいつには後で礼を言う必要があるくらいだ)。
 いつものようにホームルームも居眠りをしているそいつの背中を眺めつつ帰りの挨拶を終え(この帰りの挨拶というのは小学校から唯一受け継がれている伝統である)、俺はさっさと鞄を持ち、足早に教室を出ようとした。
 その時、後ろから俺に声をかける人物がいた。
「ちょっと、今日は係りの仕事で残れって言ったじゃない」
 クラスのまとめ役である、女史がそこにいた。


 女史は俺の方に近づいてきて、眼鏡の位置をくいっと直した。あの人がする同じ仕草を見る時も思うが、とても様になっている。俺がやっても変になるだけだろう。
 さて、女史が言った言葉を、俺は聞いていなかったようだ。
「あれ、そうだっけ。ごめん」
と素直に謝った俺は、鞄を自分の席に戻した。他のクラスメイト達は各自の活動のために教室を去っていく。すぐに、教室には俺と女史の二人だけになってしまった。
 女史は、係りの仕事をする、と言った(思えば、この係りの仕事というのも小学校から引き継ぎのシステムである)。
 女史は大きな模造紙を運んできた。その後に、俺にA4用紙を渡す。
「これの通りの掲示物を作るから。手伝ってもらうわ」
 そう言いながら女史は模造紙を広げる。
「なんだ俺だけ残したの?」
 俺は、疑問に思ったことをそのまま口に出してみた。女史はマジックや鉛筆などの準備に忙しく、俺の方を振り返りもせずに答える。
「他に残ってくれそうな男子がいなかったからよ。それに、二人だけでも十分だと思ったし」
 別に、男子を残す必要があったとは思えないが、ここは突っ込んでは行けないのだと思う。
 俺はA4プリントを眺める。近々行われる学校行事の宣伝文句が歌われているものであった。どうにも作る必要性を感じないが、これも突っ込んではいけないと思う。
「さて、と。下絵はもう完成しているから、あとはポスターカラーでなぞるだけよ。特に大変な作業はないと思うから、手伝ってね」
 俺は頷いて、ポスターカラーを手に持った。美術の評価はあまり良くない俺だが、人並みの作業は行えるはずだ。これで役に立てるのであれば、喜んで参加しようと思う。
 誰もいない教室で、ぽつりぽつりと雑談を交わしながらの作業が始まった。


 作業開始から一時間。ほとんど形が浮かび上がってきた模造紙は、運ばれてきた時のモノクロのものより大分迫力を増したように思えた。
「こんなもんでいいかしら」
 女史が眼鏡の位置を、自分の中指を使って直しながら言う。
「そうだね」
 俺はそう言った後、続けて尋ねる。
「これを何処に掲示するの?それも手伝った方がいいよね?」
 女史は模造紙を両手で持ち上げ、満足したような顔を浮かべた。
「そうね、南校舎二階の廊下にでも貼ろうかしら。あそこは人通りも多いし。手伝ってくれるんなら、手伝って」
 女史の言葉に、俺は頷く。そして、二人で南校舎二階の廊下へと向かった。


 誰もいない廊下に、俺と女史だけがいる。
「ここでいいわね。ほら、椅子と画鋲」
「はいはい・・・・・」
 女史は、俺が運んできた(力仕事のために俺は残されたようだ)椅子に乗って廊下の高いところにある掲示板へと模造紙を持ち上げ、そして画鋲を使って四隅を固定し始めた。
 と、その時――
「きゃ」
という小さな悲鳴をあげて、女史はバランスを崩した。
 椅子という不安定な台の上に乗っていた女史は背中から倒れ込む。このままでは、怪我は免れない。
 そう思った俺は、すぐに後ろに回り込んで、女史の身体を支えた。俺にできるのは、それだけだった。それだけだったから、そうしただけである。飽くまでここで断っておこう。
「あ・・・・・、っと、ごめん・・・・・」
 女史は転びそうな体勢で俺の腕の中にすっぽりと収まった。その眼鏡が、からん、と涼しげな音をたてて床に落ちた。
 ――あれ
 俺は思う。
 眼鏡をつけている状態では真面目なイメージが強かった女史だが、こうしてみると目が大きくて、そうだ、これは男性的本能でそう思ったのだろうが、可愛い。
 ――と、向こうの方から足音がした。
 その足音に反応して、体勢を立て直そうとしたが、時既に遅し、というのはこの状況を言うのであろう。
 向こうからやってきたのは、間の悪いことにあの人であった。
 あの人は、そのポーカーフェイスには珍しい驚いた表情を見せ、その後に
「これはごめん・・・・・」
と言ってその場を立ち去った。俺は、止めようとしたが、あの人はさっさと何処かに行ってしまった。
「えっと・・・・・、あの人には俺が説明しておくよ」
 俺は女史にそう説明した。女史の方も、いつものポーカーフェイスを崩して少し顔を赤らめながら、無言のままに頷いた。


 女史との仕事を終え、家に帰った俺は速急に携帯を取りだして、あの人宛にメールを送る。
『さっきのことだけどさ、女史と俺は何でもないし、あれは事故だから勘違いしないで』
 あの人も、家に帰っていたと見受けられる。メールがすぐに返ってきたからだ。
『へぇ、そう。言い訳に見えないこともないけど、信じるよ』
 物凄く曖昧で、且つ信用しているように見えないその文面を見て俺は苦笑する。と、センスパが部屋に入ってきた。
「メールですか?」
「男友達とね」
 俺は携帯を折り畳んで机の上に乗せ、ベッドに寝転がった。
「昨日ですけど、あの、家に着た女の子と何処へ行ったんですか?」
 センスパが、俺の寝転がっているベッドに腰を下ろしながら言った。そっぽを向いているのでその表情は伺えないが、意図的に目線を逸らしながら近づいてきたところを見れば、表情など見ずともその感情は伺い知れる。
「遊園地だよ、近くの」
俺は答えた。
「遊園地・・・・・・」
「今度、センスパも連れて行ってあげるよ」
 俺が言うと、センスパは身体の動きを一瞬だけ止めた。
「い、いえ、そんなつもりで言ったんじゃ・・・・・ないん・・・・・ですが・・・・・」
曖昧な語尾を持たせた言葉を言ってから、センスパは、ゆっくりと振り返る。
「やっぱり・・・・・、遊園地行きたいです」
 なんとも微笑ましい行動である。俺は笑いながら
「OK」
と言った。
 ――言った瞬間、机の上で携帯が震動した。
 手に取ってみると、差出人は今、話題に出ようとしていた妹さんであった。
『兄から聞きましたよ、ガッコで女の子からモテモテなんですね〜』
 ・・・・・・いったいあの人は何を言ったのだろうか。
 あの人も口が軽い、と思いつつ、俺は親指でプッシュホンを押す。
『あれはそんなんじゃなく、事故でああなったんだって。兄さんにもそう言っておいてよ』
 妹さんも携帯を手に持っているようで、返信が早い。
『あれってなんですか?私はただ兄から、あなたがガッコでモテるから諦めろ、って教えて貰っただけですよ〜』
 しまった、と心の中で呟く俺。自ら墓穴を掘ってしまったようだ。
『聞いてないんならいいんだ。俺の早とちりだったみたい』
 送信。かなり苦しい言い訳だと思うが、仕方がない。他に良い言い回しが思いつかなかったのだから。
 横からのぞき込んでいるセンスパを上手い具合にかわしつつ、俺は再び手の中の携帯が震動したのを確認して着信メールを開く。
『ねぇねぇ、あれってなんですか?聞きたい聞きたい、あやしいですよ〜』
『いや、大したことじゃないよ。忘れて』
 自ら掘った墓穴でここまで苦しむとは思っていなかった。一応、一応ではあるが、俺と妹さんはキスをしたわけだ。そこで、俺と学校の女子が抱き合っていた(ように見えただろう)なんてことを知られるのはマズイということが、俺のような鈍感人間にも分かる。
 メールが返ってきた。
『いいですよ〜、兄に聞いちゃいますから。あ、その前にお風呂に入ります。おやすみなさい〜』
 それが、その日に来た最後のメールだった。


 翌日、眠い目をこすりつつ俺は登校する。下駄箱に靴を入れていると、後ろから声を掛けられた。
「おはよう」
 振り返ると、女史の姿がそこにあった。俺はすぐさま、
「昨日のことだけど、あの人の誤解は解けた・・・・、と思うよ」
と言う。女史は
「そう」
とだけ答えて、黙り込んでしまった。話しかけてきた理由は、それではないようだ。
「ねぇ、相談なんだけど――」
 女史は、開かない口をやっと開いた。そして続けた。
「――生徒会に、入ってみる気はない?」
 眼鏡の奥の目が、まっすぐ俺を見つめていた。


 俺がただ唖然と立ちつくしていると、女史は付け加えるように話し始めた。
「――っていうのも、生徒会役員だった先輩から一人欠員が出ちゃったところなの。一年生って私しかいないから、新役員は一年生の男子から選ぶことになったて、だからこそあなたを誘っているんだけど・・・・・」
 話を黙って聞いていた俺だが、上靴を履いて女史と並んで教室に向かいながら
「でも、俺なんかにそんな役割がつとまるのかどうか・・・・・」
と尋ねる。生徒会に誘われて嫌な気はまったくしなかった。しかし、中学とは違う生徒会に入るということが、なんとなく不安だったのだ。
 俺のその言葉に、女史は
「それは私が保証するわ。あなたには、そういう素質がある」
と軽い笑みを浮かべながら言った。
 その笑顔を見て、俺は昨日の出来事を思い出す。女史の素顔、可愛かったな・・・・・・
 俺は、少しだけ考えて、そして軽く一回、頷いてから言った。
「うん、まぁ、そういうことならやってもいいよ。でも、一年生の間だけ、でいいかな。二年生になったら、やる気がなくなるかもしれない」
 女史は俺に向かって、いつものクールな表情を見せ、そして一言だけ
「ありがとう」
と応じ、そして笑った。


 教室について席に座り、いつもとなんら変わりもせず友達と話をしていると、向こうにいたあの人が、ちょいちょいと指を動かした。こっちへこい、というジェスチャーらしい。
 俺が近づくと、あの人は廊下に出た。俺もそれに習う。
 あの人は、何の前置きもせずに話し始めた。
「妹が君のことを気に入っちゃったみたいだ。どうする?君のありのままを、伝えるべき?」
 ありのままを、と言われても、俺には卑しい事実はあまりないが・・・・・
 俺が複雑な表情をしているのを確認したのか、あの人はふっと笑ってから
「妹が誰かを好きになるのは、多分、僕の知っている限りでは初めてだよ」
と言った。
 そういうことならば、確かにあの人と妹さんは共通点があるのかもしれない。しかし、少なくとも妹さんは、今、俺のことが好きらしい。
 ――初めての恋で、相手をデートに誘ったりキスをせがんだりできるものなのだろうか。
 俺はそう考えてから、顔に苦笑を浮かべる。初恋は実らない、という言葉もあるわけだし、これが妹さんにとっての初恋なのだとは思えないのであるが・・・・・
「まぁ、初めてっていうことで、あれはあれなりに四苦八苦しているみたいだから、君に見守っていてほしいね。兄としては、だけどね」
 あれ、というのは妹さんのことを指しているのだろう。見守っていてほしい、と言われても困るし、だいたい、妹さんと俺はもうキスを済ませてしまっている。何がどうなってキスした、とか、そういうのは問題ではなく、事実としてそうあるだけであるが。
「ところで、だけどね――」
 考え込んでいた俺は、あの人の言葉で我に返る。あの人は俺が話を聞いていることを確認してから、続けた。
「妹に訊くように頼まれたんだけど、今、君に好きな人っているの?」
 好きな・・・・・、人・・・・・?
 俺は、あの人の問いを理解するのに、数秒かかった。
 そして、理解してから解答を探し始めるまでの思考回転が、非常に鈍足になった。
 思考が始まった瞬間、俺の脳内に複数の顔が浮かんだ。
 ――アメリカの彼女、他校のあの娘、妹さん、女史、そして、センスパとハピマテ
 今、俺にとって、好きな人とは誰なのだろう?
 質問を自分で何度も、何度も反復する。反復するのだが、答えは出てこなかった。俺が、今、好きな人とは、誰なのだろう?
「ごめん・・・・・」
 俺は、あの人にそう告げる。
「俺自身、よく分からない・・・・・・、ごめん、妹さんにそう伝えて・・・・・」



 その日の学校をなんとか終え、俺は自転車に跨った。
「さて、と・・・・・」
 意味のないつぶやきをしてから、俺は家の方向に自転車を走らせて、すぐにその走行を止めた。
 なんとなく、なんとなくであるが、家に帰るのに気が乗らない。
 俺は駅前へと続く道へ向かって自転車をこいだ。以前、センスパと一緒に不良に襲われたことを思い出し、人目の多いところを通りようにして。


 CDショップのCDコーナーをぶらつきながら、俺はJ-Popの試聴をくり返した。店内に流れている有線放送を含め、まったく気に入る曲がない。そのあたりの音楽に対する毒舌ぶりは、数年前の俺と少しも変わっていない。
 何も借りる気がないレンタルコーナーを冷やかしながら、俺は家に帰るタイミングを伺っていた。そのタイミングとは、もちろん俺の心境でのタイミングである。
 こういう場合、タイミングはなかなかやってこないものである。ただぶらつく俺は、店員にさえ怪訝そうな目で見られている、そんな気さえしてきた。
 ――と、その時だった。
「あれ?もしかして――
と、後ろから名前を呼ばれて俺は振り返った。
 そこには、見慣れた女の子が立っていた。
「こんなところで会うなんて。奇遇じゃない」
 あの娘だった。


「何してたの?」
 偶然会った俺とあの娘は、お互いに暇であったため駅前の他の店をぶらつくことにした。
「特に何するわけでもなく、暇つぶしかな・・・・・・」
「そっか、じゃあ、私と同じね」
 あの娘はそう言ってからくすりと笑う。
 考えてみると、あの娘と二人きりで会うのはかなり久しぶりである。久しぶりである上に、滅多にない稀な機会でもあった。
「あいつとはどう?上手くやってる?」
 俺はあの娘に尋ねることによって話題を作る。あの娘は、
「うん。それが彼、また変なこと考えてるみたいで・・・・・、あなたにもそのうち伝わると思うから今は言わないけどね」
 あの娘は苦笑する。また、か。たしかに中学時代はあいつの思いつき、散々振り回されたっけ。バンドを組もうと言い出したのも、かなり突飛な発言だった。しかし、その思いつきに振り回されることが、最大の思い出作りにも繋がったし、自分としてはだが、とても楽しいことでもあったのだが。
「うん?髪の毛にゴミついてるわよ・・・・・・」
 あの娘は俺の顔の方に手を伸ばす。その手が俺の髪に触れるまえに俺は
「ああ、うん、ありがとう」
とお礼を言う。あの娘の手が俺の髪の毛に触れた。上目遣いになっているあの娘の顔が、大分近くにある。俺が好きだったあの娘が、そこにいた。
 ――その時である。
「あ、あのう・・・・・」
 後ろから声がして、俺は振り返る。あの娘も俺の肩越しに、その後ろにいた人物を見た。
 聞き覚えのある声だと思ったが、やはり、俺の知っている人物だった。しかも、この状況で会うにはマズイ人物。
 妹さんが、きょとんとした顔で、しかし状況をしっかり把握しているような目で俺の方を見ていた。
「わ、わぁ・・・・・・、ごめんなさい、私、間が悪い登場でしたね〜」
 妹さんはにこっと笑ってそう言った。俺は弁解をしようとする。だいたいあの娘は今、あいつと付き合っているわけだから、弁解というのもどうかと思うのだが。
 しかし、妹さんは自分で状況を理解(正確な理解ではないと思われる)したようで、
「それじゃあ、また〜」
と言って早々にその場を立ち去った。俺に止める間も与えなかった。
「今の子、知り合い?」
 妹さんが見えなくなってから、あの娘が俺に訊いた。俺は、
「聞くときっと驚くと思うよ」
と前置きしてから、あの娘に伝える。
「あの人の妹さんなんだ、今の子」
「えぇっ!?」
 あの娘は、俺の予想通りの反応をする。やはり、あの人がどういう人か知っていると、そういう反応をするんだろうな・・・・・
「そ、そうなんだ・・・・・」
 あの娘はそう呟きながら、妹さんが走り去っていった方を見つめていた。



 俺は辺りが暗くなってからやっと家に帰ってきた。俺が部屋のドアを開けた瞬間、ポケットの中の携帯が震えた。メールである。
 差出人は、あいつ。
 俺はすぐにそのメールを開いてみる。そこには一文だけ、用件だけが書かれていた。
『突然だけど、みんなでキャンプ行こうぜ』





                  (21話から26話まで掲載)